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2016年11月19日土曜日

Case #88 - 症状はあるのに原因が分からない

ジョンはいくつかの自己啓発セミナーに参加しており、ゲシュタルトのグループセラピーにも参加することを期待して来た。だから彼がゲシュタルト法に興味を持っていることは分かっていた。彼の番になり、私の前に来た。ここ数日彼を見ていて気づいたのは、彼の顔の表情はただ緊張感があるだけのものではなく、とても苦しそうなものだったということだった。彼はよく瞬きをし、口はひきつって、話しているときも目を細めた。彼彼は何かに怯えているような目をしていて、これから誰かに殴られるかのような表情をしていた。
私は彼のことがとても心配になり、自分が見て感じたことを伝え、彼が今どのような気持ちでいるのかを尋ねた。
だが、彼はカウンセリングを受ける事にすこし緊張しているだけだと答え、他には何も言わなかった。
なので私は彼が子供の頃暴力を受けたか聞いた。
「いいえ」と彼は答えた。
また、何かひどく恐ろしい経験をしたかを聞いてみた。
「いいえ」と彼は答えた。
何か思い当たることで彼を苦しめるようなことは何かあったかを聞いてみた。
「いいえ」とまた彼は答えた。
彼は自分は子供の頃とても恥ずかしがりやだったと言った。もしかするとこれが原因なのかもしれなかった。彼はただコンタクトを持つのが苦手だったのかもしれない。
いつもはこのような言い分を受け入れるのだが、今回はなんだかしっくりこなかった。彼の表情はあまりにも苦しみに満ちていたからっだ。でもゲシュタルトでは「抵抗」しているものを無理矢理引き出そうとはしない。だから私はそれ以上何も聞かなかった。
彼がそれ以上言わなかったので、私は別のの手段をとって見た。
彼に上向きで寝転がる様にいい、彼の隣に座った。
彼に深呼吸をし、自分の呼吸を感じ取るようにと言った。
私は彼の呼吸にどこか異常なところはないか耳を傾けたが、どこも異常はなかった。彼に何か感じるかを聞くと、ただ息をすって吐いているのを感じる、と言った。
私は彼が自分の心の動きに敏感ではないことが分かってきたので、もっと彼を観察し、質問をすることにした。
彼は腹部あたりでむなしい気持ちがただよっていると言ったので私は彼のお腹に手をあてたが、それ以上は何も起こらなかった。彼は自分の心のうちをうまく隠していて、彼の心のキーを見つけるにはだいぶ時間がかかりそうだった。
彼の目はとじているのにしきりに動いていた。なので、わたしが彼の許可を得て、自分の手を彼の目の上にしばらくおいていると彼は下腹部が冷たくなってきたと訴えたので、私は彼の下腹部にも手をあてた。
私は彼に目をあけ私を見るように言った。彼は私をしばらく見つめた後、天井をみて、暗くて冷たい薄暗い街灯が見えると言った。
彼はやっと、具体的な「像」を見せてくれた。彼に私を見続けるようにと言い、どのように感じるかを聞くと胸の中が暖かくなってきたと言ったので、彼の胸にも手をあてた。
私は「街灯がだんだん明るくなってきましたよ」と言い、胸の中にある体温を下腹部に移動させるように指示した。こうして街灯が明るくなっていくにつれ私たちの関係も深まり、さらに彼の体もだんだん暖まってくるのだと言った。私は彼に体温を足のほうまで移動させるようにと言ったが、足のつま先まではなかなか行かなかったので、他の人に彼の足を覆ってもらった。
彼はやっと体全体に暖かさを感じた。
彼が起き上がると目は以前とは全く違い、はっきり、くっきりとしていて目を見開いていた。私は自分が観察したことを彼に伝えた。
彼にまわりにいる人達何人かを見て、彼らとのつながりを感じ取るように言った。彼のエネルギーは明るくあたたかいもので、彼は新しい何かを彼らとの間に感じ取ることができた。
クライアントを取り扱う上で、彼らがどのような症状を持っているかや、彼らの背景、過去を知らなくても、彼らの体内で起こっていることをとりあつかえば、今一番注意を必要としているものが自然と浮き上がってくる。
繰り返し言うが、私たちは「図」が何であるか分からなくても良いのだ。ただクライアントの中から浮き上がってくるものを取り扱い、クライアントを支える事で十分だと思う。もちろん、クライアントの体内の中にある気持ちなどを取り扱う時はもう少し時間がかかるがそれも承知しておかなければいけない。
結論としては、何事も最終的には人間関係へと結びつけていくことだ。ゲシュタルトではそのようなものが中心的であり、「気づき」と「コンタクト」に焦点をおいている。


2016年10月24日月曜日

Case #87 - 「良い夫」、そして「愛」

チュアンは今まで一度もセラピーをうけたことがなかった。彼はビジネスマンであり、父は小さな牧場を持っていて木で物を作ることを趣味としていた。父は狩りが好きだったので、家では大きい犬を何匹か飼っていた、などと懐かしい子供の頃の話を語ってくれた。しかし中学校に上がるとチュアンは父と別れて住んでいたため、父が恋しかったと語った。
彼は学校ではいつも優等生だったが、父はそのことをなかなかほめてはくれなかった。
彼は10年ほど前から事業で問題を抱えはじめていて、妻と娘は実家に住んでいたが、チュアンだけは事業改善のため町へ出てきていたのだ。その時から彼は毎晩のようにお酒を飲む様になり、一年間うつ状態だった。
彼がうつだった最中、春の祭りで父とばったり会ったのだった。彼の父は突然「大丈夫?離婚でもするの?」と聞いたが、チュアンは「いや、仕事が大変なだけだ」と答えた。だが父はそ、の言葉を信じてくれなく、しきりに聞いた。
そして「私はおまえを信じている。お前ならできる」といい、チュアンを驚かせた。父はまた「結婚がうまくいっていないのなら、離婚してもいいと思う」と言ったのだった。
父の言葉はチュアンを大きく変え、彼はお酒を飲むのをやめ、事業を改善しはじめたのだった。
しかし、彼の結婚生活には確かに問題があったのだ。でもチュアンは父にそのことを打ち明ける勇気はなかった。
彼の妻は同級生で、妊娠したので仕方なく結婚をした。彼女は優しい女性で、チュアンの家族にも親切にしてくれ、娘にとっても良い母親だった。彼は仕方なく結婚をしたので今は「とらえられている」気がした。彼は誰に対しても良い顔をしたかったが、本当は幸せではなかった。私が、1から10でいうとどれくらい幸せなのかと聞くと10中3と彼は答えた。妻とのセックスはもう何年もの間なかったし、正直彼女に魅力を感じず、男女というよりは兄弟の関係のようだと答えた。
彼の話を聞いていると、この結婚はもとから情熱がなく、新たに火をつけることは不可能だと私は感じた。まれにそのようなことは可能かもしれない。しかし、彼が妻を抱きしめる度に冷や汗をかくということを聞いていると、妻への魅力を全く感じないということが明らかだ。
彼は妻への尊敬はあったが、「相方」としてだけだった。
しかし彼は道徳的で良い人間を演じようとし、また家族に対しての責任感も強かったので、離婚を決断することができなかった。
彼はまた、娘を傷つけたくないし、失いたくないということ、また妻を傷つけたくないということを話した。
彼はじつに「とらわれている」状態にあった。
チュアンは自分の中で「良い夫」と「真実な愛」という2つのものが分裂していると言った。
そこで私は彼にこの2つの相対するものを示す何かを選び、心の中で別れている二人の自分に討論させるように促した。はじめは、心の中にいる二つの性格がお互いの言い分を言い合っているだけだったので、私はビジネスでの交渉のように、二人の自分がどこかで同意をしなければいけないことを言った。
しばらく話した後、「真実な愛」は「良い夫」に一年間考える時間を与え、「良い夫」は妻とそのことを話すことで同意をした。
しかし、この話をすることで妻を傷つけ、彼らの結婚の終わりを迎えることになることをチュアンは恐れていることは明らかだった。
彼は急に居心地が悪くなり、少しめまいもし、立って歩かないと不安定だった。彼は部屋を見渡し「この部屋には窓が一つもありませんね」と言ったので、私はカーテンに隠れているが窓が一つあることを言うと、彼はほっとしたようだった。
私は自分が離婚をした時の話を淡々と語り始めた。チュアンは途中で私の首にかけてある指輪のことを聞いたので、それは私が次女の卒業式のためイギリスに言ったときのものだと答えた。
離婚というものはとても苦しみの伴うことだったが、結果として子供達はあまりダメージを受けていなくうまくやっているように私には見えたということと、私も心の底から愛する人を見つけることができたことを語った。私はつつみ隠さず離婚ということによる私の苦しみ、そして私の元妻の苦しみを彼に話した。
セラピーのなかで「父親の役」を演じることで、チュアンに離婚という決断をしても良いということを私は語ったのだった。
もちろん、私は夫婦がうまく結婚生活を歩んで行くための最前をつくすように務めている。しかし、その人が生きていく中で苦しみをうみ、自分自身として生きるのを妨げているのなから、離婚を考えてもいいと思う。チュアンはこれを聞いて肩の荷がおりたようだった。この部屋に窓があるということと、私の指輪の話のように象徴的なことが特に彼の注意をひいたようだった。
私の指輪の話や自分自身の離婚経験談を聞く事は彼を自分自身の恐怖と「とらわれている」感から解放したようだった。私自身が自分のストーリーを語り、自分のことを打ち明けることにより、彼へのセラピーへとつながった。もちろん、セラピストが自分の話をするということには細心の注意をはらわないといけない。しかし今回のようにクライアントを助けるツールになる場合は例外だ。
「窓が開いている」という象徴はチュアンにとってはとても大事なものだった。それは彼が行き詰まっている中で、例えそれが隠されたものだったとしても私が脱出の道を示したからだ。
この象徴はこれからのセラピーで取り扱っていこうとも思う。
また、2つの敵対する部分が会って話し合いをするということも大事だった。セラピーの中でこの部分が対話をすることにより、対立する2つの部分の融合をはかることができるが、敵対する二人の人が会うときに注意が必要なように、このようなことをするにはセラピストの助けを必要とする。
そして彼の「父親像」も大事なものだった。それはチュアンが父に認められたいという思い、そして私が彼に対しての「父親像」としてできる役目があり、それを通して彼を助けることができるからだ。

2016年10月6日木曜日

Case #86 - 肥満の原因

ライラは肥満気味だった。肥満の度合いについてはちょうど「やや肥満気味」な体型だったが、もちろん、彼女自身は体型に関しては何も言わなかった。このことは私が彼女と知り合ってから自分で見て観察したことだった。
女性にとっては特に、体型のことはとても複雑で難しい問題であり、セラピーでは避けて通れないが、それと同時に繊細な問題であるため簡単にクライアントにつきつけることはできない。しかし今回の場合、ライラは自分の体型に関しての問題と向き合う準備ができていた。
体重が増えたきっかけを聞くと、はじめは大学の時だったと答えた。学生のころはお金がなかったけどいつもお腹がへっていたので、食べるときはどか食いをしてしまったが、だんだんと落ち着いてきて通常の食生活にもどったと言った。
なので、その後のことも聞くと、娘が生まれたころは授乳のためたくさん食べていたので、体重が増えたと彼女は答えた。しかし、娘はもう10歳なのにライラは未だにその時の体重と変わらなかった。それだけではなく、彼女は口惜しいので、よく何かを食べているということも話してくれた。このことは色々な心理状況にあてはまるが、今のところ見えているのは彼女が心配性であるということだけだった。しかし、心配性だということも漠然としていて具体的にどのようなものをかかえているのかは分からなかったので、なんとも判断がつかなかった。
そしていつもどのような食べ物をどれくらい食べ、どれくらい運動をしているかを聞いた。こうすることにより問題に具体的な解決法を見つけることができる。彼女の話を聞いたところ、いっぱい食べているようではなかったので、やはり何が問題なのかがまだ分からなかった。
そのため、私は彼女が変わるためには具体的に3つの点で気をつけないといけないということを言った。それは彼女が食べる物の質、食べる物の量、そして運動とのバランスだった。
また自分で全て成し遂げようとするのではなく、まわりの人に助けてもらうことが重要だと伝えた。彼女のまわりの状況を聞いていると仕事場や友達、家族、趣味などでは充実しているようだったので、このような要素にあたるストレスが原因で無い事は分かった。
だが、彼女の話を聞いてもまだ、何が肥満の原因なのかが分からなかった。そのため彼女の心配性な性格に関して聞いてみるとライラの父親はいつもライラのことを心配していて、どうやらその性格がライラにうつり、娘への心配性に変わっていたようだった。
これはクライアントのフィールドと関係していたので、取り扱う必要があった。だが、そうする前に、彼女は急に「あ、そうだ。私が子供の頃、よくお母さんに無理矢理食べさせられていたんだ」と言った。
彼女は子供の頃、母親が食べ物を口に無理矢理押し込んで、まだ食べ終わらないうちにまた食べ物を口に無理矢理いれるという記憶があったことを話してくれた。そして、このことはよくあり、彼女はとても不愉快なおもいをしていた。そしてそれを話しながら涙を流していた。わたしが彼女に同情し、今どのような気持ちでいるかを聞くと、「怒り」と答えた。
そこでライラに大人である自分の声を用いて、「もう十分だわ。無理矢理口に食べ物を押し込むのをやめてちょうだい」と、母に子供の頃の自分が言ったであろう言葉を言うように促した。だが彼女はなかなかこの言葉を発することができなかった。これを見た私は、ライラに自分の手を口の前に突き出し、それ以上食べれないようなしぐさをするように言った。こうすることにより、ライラは自分の内に勇気がわいてくるのを感じた。
宿題の課題として、食事をする度に母親のことと彼女に無理矢理食べさせられていたことを思い出し、自分がどのように反応するかを考えてみるよう伝えた。
こうして意識的に子供の頃のトラウマと戦うことにより、ライラは無力な子供から断る力のある大人になっていくことができるのだ。

2016年9月22日木曜日

Case #85 - 水のないプール

ダニエールの話を聞いて私は胸がとても悼んだ。彼女も夫も二人とも教師で、よく一緒に旅行したり、外国で英語を教えたりしていた。彼らは大学で知り合い、二人ともクリエイティブでスピリチュアリティに興味があり、美術が好きで、一見、とても仲がいいように見えた。
しかしある時、夫はフランスに美術展覧会のために行ったきり戻らなかった。彼はダニエールになにも言わず、なんの相談も無しに行ってしまい、不法移民としてフランスに滞在してしまったのだ。もちろん、このことはダニエールをとても悲しめた。また、時が経ってもそれは変わることはなかった。彼はダニエールをフランスで一緒に住むように呼んだりはしなかった。ただ何回かたまに帰国することはあった。夫と会ったときもなかなか話を持ち出せなくて、ダニエールはこのことでとても傷ついたことを打ち明けてくれた。
彼女は自分の人生が中途半端なところで止まっていて、自信を持って前にすすむことができなかったし、その状況を解決するすべも分からなかったと話した。
しばらくしてから、知人より夫が前の年にフランスで亡くなったということが耳に入り、このことはダニエールを更に追い込むことになった。夫が亡くなってから離婚をすすめるのはとても難しく、彼女を苦しめることになったのだ。
彼女は自分の人生が「基盤から崩れ落ちてバラバラになった」と表現した。
そして次の6年間、少しずつ人生を再構成していったのだ。彼女は様々なスピリチュアルな体験や、哲学、個人的成長などに時間をかけ、今までの悲痛な体験から自分を解放する努力をしてきた。
今は元通りのしっかりとした基盤を築き上げることができたように感じたが、問題は新しいパートナー探しだった。夫がなくなってから何人かの人とお付き合いをしたが、どれも長くは続かなかった。
今はもっと真剣なお付き合いをする心の準備ができていて、現在も付き合っている人がいたのだが、彼女のあいまいな態度のせいであまりうまく進んでいなかった。
彼女はその気持ちをプールの端に立って、怖くて動けなく、なかなか飛び込めない気持ちと似ていると表現した。
彼女は過去にとてもつらい経験をしたので、確かにこの表現は彼女にあてはまっている。私はこの表現を用いて彼女の気持ちをより深く掘り下げていき、言った。「前回はプールの中に水がいっぱい張っているように見えたので、あなたは飛び込んだのですが、実は水が入っていなく、痛い思いをしたのです」と。
そのためプールにどれくらい水が入っているかを確認するのがとても重要になってくると指摘した。私がこれを相手の「陰」をしっかり見るという比喩を用いて、彼女が昔に比べて相手の「陰」を見極めるのがうまくなったかを聞いてみた。
しかしダニエールは自分自身がどのような「陰」を出しているかに焦点をおきたかったので、私は通常はこのようなことはしないのだが、彼女の今までの話を聞いていて彼女は既に自分自身がどのような姿かは見出していて、自らの「陰」がどのようなものであるのかを知っていると指摘した。
そして、彼女ではなく、相手の条件に焦点をあてるように言った。
もちろん、通常はクライアントに焦点をあてるのだが、クライアントがすでに様々な方法を用いて「自分探し」をしている場合は、外の世界に目を向け、他人を評価することに目を向けさせたいのだ。
ゲシュタルトで重要なのは、「決まったやりかた」をしないということだ。一人のクライアントに用いられるものが他の人にも有効だとは限らない。それは人によって、その人の成長能力、必要、自己意識、今欠けているものがそれぞれ違うからだ。ダニエールの場合は「成長するべきもの」は恐れや「自分のつくった相手のイメージ」というものを取り除き、真に相手の姿を見る能力だった。
ゲシュタルト法ではクライアントが自身の感性や身体的感覚、今体験していることを見つめ、地に足をつけて歩めるように助けたいのだ。
そして、今回のように比喩を用いてどのように前に進んでいったら良いかという説明もしている。
このように相手が持っている世界や使っている言葉に自分自身を合わせることにより、相手の心を開いていくことができるのです。


2016年9月15日木曜日

Case #84 -

リリーは明るい女性だった。私は彼女の いきいきとしてフレンドリーな性格が気に入った。彼女がいると場が明るくなった。私はそのことを彼女に伝え、また彼女の存在を感謝していることも伝えた。彼女とはすぐにうちとけることができたし、セラピーの場で明るさという良い性質を持ち合わせていて、非難するところのない彼女にどのような悪いところがあるのか全く分からないと言った。
彼女は他にもたくさんの人からこのような素敵な言葉を頂いていたことを言ったが、彼女のそのような性格は見せかけで、本当は裏で何か隠しているのだと言う人々もいた。
もしかしたら本当にそうなのかもしれないが、一見みた所わたしにはまだ分からなかった。そこで彼女に自分が隠していそうなこと、例えば怒りや憎悪などを挙げてみる様に促した。しかし彼女は何も思いつかなかった。なので、私はそれ以上根掘り葉掘り聞くつもりはなかった。もしかしたら本当に、ただいつも明るい性格の人なのかもしれないからだ。
私が彼女に年齢を聞くと38歳、独身と答えた。私は彼女のような素敵な女性が相手を見つけられないなんて、なんておかしなことだろう、と言った。彼女は自分でもうまく説明できなかったが、ただ一つ言えるのは男性とのパートナーシップを築くための深いつながりを誰かと持つことができない、と答えた。もちろん、私が推測したように彼女を慕う男性は山ほどいた。
彼女はまた、友達があまりいないということもうちあけた。このことも私にとっては彼女に合わない、おかしなことに聞こえた。
彼女は子供のころ他の兄弟たちとの年齢差が大きかったため、兄弟と遊んだりすることがなく、また彼女が学校に通っていた村も同い年の子供がいなく、学校にいっている時には友達があまりいなかったのだと話した。
これでやっと謎がとけた。彼女は人間関係の築き方を学んでいなかったのだ。こんなにも明るい性格なのに、なぜだか友達の作り方をしらなかったのだ。彼女の説明を聞いても、まだ、私は彼女が友達を作れないということに納得がいかなかったので、グループの中にいる5名を選び、彼らとの話をし、友情関係をさぐってみるよう促した。
しかし、彼女はなかなかその5人を選ぶことができなかった。それは、相手と生理的に合うかどうかを考えてしまっていたからだ。彼女は恋愛関係のように、友情は自然とお互い何か感じるものがあるのだと思っていたようだ。
そのため、自ら彼女が相手とのつながりを求めていかないといけないということを私は説明した。彼女は他人と友情関係を築くことについてなんとなく受動的のようだった。もしくは友情関係の築き方を知らないようだった。
彼女がやっと一人選んだので、その人に出て来てもらい、彼女にその人と対話をしてもらうようお願いした。しかし、予想通り彼女は会話をどうはじめたらいいのかが分からなかった。なので、私が助け舟を出し、相手と友達になりたいということと、その人のことをもっと知りたいということを言うように促した。
彼女が話はじめて分かったことは、相手に関してすぐ色々と決めつけ、その人を非難してしまうことだった。もしこれが一つの性質だけで、相手とそのことについて話し合うのならともかく、彼女はどんどん相手のことに関して色々と決めつけ、その人を批判してしまったのだった。
彼女はまた、頭の中で声がしその声が「この人との関係はたぶんうまくいかないだろう」と言っていると訴えた。私はこの「声」を「妨害者」と呼び、彼女の隣にクッションをおき、邪魔されずに会話を続けられるよう、「妨害者」から自分を切り離すように言った。だんだんと彼女自身あまり社交性がないということが分かってきたので、私は彼らの対話を助け、相手との共通点をどう見つけたらいいかを教えてあげた。
このようにすることはコーチング、つまり実践的なことの助けの一例であった。彼女とはこれからもう少し時間をかけて探って行くべき心の問題はあった。しかし子供のころ養うことのできなかった基本的な対人関係の持ち方は、今すぐにできることの一つであった。彼女が言った「妨害者」を含め、他の深い問題はあとから探っていくことも可能である。彼女が今必要としているものは、アクティビティでやったように誰かとうまくつながる、という新しい体験だった。
ゲシュタルト法には特に決まった形はなく、物事を無意識から意識化させることにフォーカスをしている。しかし、洞察力だけをたよりにしているわけではない。物事には、いつもと違うことを試してみる時と場合がある。そしてゲシュタルト法には二つの側面がある。それは物事を意識化させることと、実体験を通して学ぶことだ。もちろん、タイミングはとても大切だ。まだ心の準備ができていない人にこのアクティビティをさせてもうまく人間関係を構築できないし、対話というアクティビティの中で長々と話しすぎるのもよくない。
だが、このアクティビティをうまく活用することで物事に新しい息を吹き込むことができるし、私がクライアントの話をただ鵜呑みにするだけでなく、実際にクライアントがどう他人と接しているのかを見る事もできる。こうすることにより、クライアントがどのような人で、どのようにセラピーを行ったらいいのかをよりうまく理解することができる。

2016年9月3日土曜日

Case #83 - 今まで大変だったけど、一人でかかえず私とその問題を共有してください。

アデルは政府機関のカスタマーサービスセンターで20年間働いていて、お客さんからの評判は良かったし、自分の仕事もうまくこなしていたが、仕事以外ではあまり社交的ではなかったと話してくれた。同僚は彼女の文句を言っていたし、どこにいってもなかなか友達ができなかった。彼女は人との繋がりを求めていたが、ひとりぼっちで、友達もわずかしかいなく、なかなか前へ進むことができなかった。
彼女はまわりの人が自分の努力を認めてくれず、彼女のことを拒否し、また自分自信の存在が嫌になってきたと何度も話した。
私は彼女の話を聞くうちにだんだんといらいらがつのって来た。また彼女に対し優しさや思いやりではなく、彼女のことを否定し、彼女から逃げてしまいたい気持ちになってしまった。そのため私は落ち着きがなく、居心地が悪くなった。
そして私は彼女に「アデルさん、今あなたのしている問題への対処法はうまくセラピーへとつなげることができていない気がします。私はあなたの話を聞くなかで、あなたに近づくのではなく心が遠ざかっている気がします。私は自分がいらだって、あなたの話を聞きたくなくなってしまっています。お願いですから、『物事の話をする』のをやめて、私と一緒に今現在をみつめてくださいませんか。」と言った。
彼女は話をやめたが、とても緊張した様子で私と目を合わせなかった(彼女は話しをしている最中も、始終部屋を見回していた)し、悲嘆に暮れているようだったが、彼女の「悲嘆」は私が共感できるものではなかった。
そして、私は力強い声で彼女に言った。「アデルさん、あなたはほんとうに大変な人生を送っています。あなたは人とつながっていなく、私とのつながりさえも、今断とうとしています。お願いですから、今ある人生と向き合い、私の目を見て、私と心のつながりをもってください。わたしはそうする心の準備ができていますが、あなた自身にもそうしてもらわないとお互い認めうことができません。」
彼女は最初はそれを否定したので、私は話をするのをやめるようお願いした。今は、彼女は自分が悲劇のヒロインであるストーリーしか見えなかったので、彼女の注意を十分にひく必要があったからだ。
彼女は話をやめ、恐る恐る私を見た。私は彼女に優しく話しかけ、彼女との心のつながりがだんだんと築かれていくのを感じていることを伝え、彼女にもそうするよう促した。最初は難しかったが、彼女は徐々に私との心のつながりを持ち始めることができた。そして、彼女が今ある人生を見つめはじめるにつれ、私の心もだんだん柔らかくなり、そうなっていることを彼女に伝えた。また、今彼女の人生でどのようなことが起こっているかにも関わらず、私は今彼女と心がつながっていて、彼女を支えるためここにいるということも伝えた。彼女は私の言葉をゆっくりと受け入れたが、妙なことにそれを受け入れるのもしぶしぶとだった。彼女のように、ある人々は誰かからの助けを心底求めているのだが、自分の悲劇のストーリーにとらわれすぎて、そのような助けをなかなか受け入れることができないのだ。なので、彼らの物語にはられた「霧」を切り開いていくには多大なエネルギーと直接的な介入が必要となるのだ。

2016年8月29日月曜日

Case #82 - 父を探して

イアンは父親との関係を修復しようとしていた。
彼は41歳で、母親は8年間がんと戦った後、去年亡くなったのだった。母の闘病中はイアンが看病をしていた。彼の兄も母の看病を申し出てくれたが、イアンが彼女の世話をはじめてからは、母は他の人にお世話をしてもらうことを拒んだ。
父は母が癌と診断される半年前から出張でずっと家を出ていたため、母が診断された当時から家族から離れていた。父は他の人と一緒にビジネスをしていたが、それがうまく行っていなかったので、ビジネスを回復しようと一生懸命で忙しかった。
そのためイアンが最後まで母の看病をしたのだった。イアンは母をとても尊敬していた。母は医師としての訓練をうけていたが、父と一緒になるために国を出てからはその資格は認められず、看護師として働いてきたのだった。彼女は人生を全うし、威厳を保っている素敵な女性だった。
イアンは父が母をあまり大切にしていないと感じていたため、母への態度とは反対に父は尊敬することができなかった。また彼が育つ中で父が一家の長としてうまくリーダーシップをとることができていないように思えた。
彼の話を聞く中で、複雑な問題が混在しているため、一つ一つの問題を解いていくにはある程度の時間を要することが分かった。
問題は、どこからそれらの問題解決をはじめるかということ、今何が一番大切なのかということと、彼が父との関係をよくしようと努力しているなかで、わたしは何をすることができるのか、ということだった。
なのでわたしは自分の家族について話した。それは、私の母もとても愛にあふれた素敵な女性だったが、父は自己中で一緒にいたくなかったということを。
そんな家族で育ったため、私がどんなにバランスのとれた見方で家族を見ようとしても、母を批判的なまなざしで見る事はできなかった。イアンは彼も私と同じ思いだと言った。しかし、大人になって分かったのは母からの「愛」は彼女の必要を満たそうとしているものでもあり、そのため私ははっきりと自分と母との間に境界線をひくことができなかったということも話した。イアンはそれを聞いて頷いた。また、私は父とよくぶつかったことも話し、彼との関係は私を養うものではなかったということを話した。するとイアンは再びうなずいた。
以前、私は自分がカウンセリングを受けたときにセラピストに、「それではあなたはお父さんとどれくらいの時間を過ごしたいのですか。」と聞かれたことがあったので、イアンにも同じことを聞いた。その質問を投げかけた時に、彼はまだ父と同居していることが分かったのだ。
それを聞いて私は心理教育者として彼にアドバイスをすることにした。普段はアドバイスをするのではなく、クライアントと対等の立場で話すのだが、今回は例外だった。彼に一般的な統計としては、家族と一緒に同居している独身男性は結婚する確率が限りなく低いということを話した。なので、彼が今の家を出ることをすすめた。彼がこのことに対してどう思っているか確認していみると、彼は素直に私の言葉を受け入れた。イアンは誰かに自由になる許可を必要としていたようだった。
次に私はどのくらいの頻度でお父さんと会うのが適当か聞いてみた。彼が週一回に食事をする程度、といったので私は具体的にどこで会うかを聞いてみた。このように具体性をはっきりさせることで、より行動に起こしやすくなるため、具体的な内容を話し合うことは重要である。イアンは私の問いに、彼の家に招いて料理をしてあげる、と答えた。
イアンは今まで10年ほどずっと母へ「与え続け」ていたので、いつも自分が誰かに何かをすることを考えており、どうやってそれを止めたらいいか自分では分からなかったのだ。彼の思いは良好的なものだったが、どこで境界線をひいたらいいか分からなかったようだ。更には、彼の父に対しての思いを考慮すると、イアンがいつも何かをするので心の奥底ではだんだんと怒りがたまってきてしまうのが目に見えた。私がレストランに行くように提案したので、彼はそれに賛成してくれた。先ほど言ったように、彼は「良い父親像」である私から自分の必要を満たすためのものを提案して欲しかったし、それをする許可を得たかったのかもしれない。
私がレストランではどれくらいの時間を過ごすのか聞いたところ、彼は1時間半と言ったので、その間には何を話すのかを聞いてみた。
イアンは、普段は父とは仕事の話はしないが、これからは父と仕事の話もしていきたいと言った。他には何かあるかと聞くと、彼は父の健康状態が気になるのでそのことと、自分自身の将来の計画について話したいと言った。
このようにイアンが父との新しい関係を築くきっかけをつくることができた。まだまだ課題があったが、はじめの一歩を歩みだすことができたのだ。
イアンは様々なことにおいてしっかりとした基盤が必要だった。それらのことは普段、父から受け取るものだが、彼はそれを父から受けることができず、自分の心をケアの仕方や、人生においての方向性をしっかり持つことができていなかった。そのため、私が「父親像」になることにより、彼が一体何を必要としているのかを探りだす助けをすることができるのだ。私とのセッションを続けることにより、彼は父を見下す姿から、何かにおいて父を尊敬する段階への手助けとなり、また私が「父親」の役をすることで、彼自信が父の立場になるための準備をし、「父」という役割のなかで、子供の心の糧になるものを与えるために何ができるかを考えさせることができたのだ。










2016年8月2日火曜日

Case #81 - 「涙」を「心の叫び」へと変える

ジェーンとのセッションは「攻撃的な面を外に出し、人との関係を円滑にさせる」ためのカウンセリングセッションだった。「攻撃的な面」というのは怒りや憤りなどの強い感情のことを意味している。ゲシュタルト法では「攻撃性」というのは悪いものでは無く、むしろクライアントにとって良いものだと考えられている。それは無意識に取り入れられた考え(「成すべき」と本人が思っていること」)を分解していくために効果的だからだ。
ジェーンはしきりに泣き続けていたので、彼女が今どのような気持ちかを聞いてみると「怒りがある」と答えた。
多くの女性は怒りを納めるように教えられているので、怒りの代わりに涙を流す人がよくいるのだ。しかし「泣く」ということは「無力さ」へと変わるため、本当の解決へはつながらない。
そこで私はジェーンに自分の体と心を一体にするよう促した。まず息を吸った時に鼻からお腹へと移動させ、その後、足全体へと吸った息を移動させていくように言った。私は彼女のエネルギーが体の下から上へと移動しているのが見えた。彼女の怒りはどんどん上へと体の中をのぼり、目へと、そして涙へと変えられて行ったのだ。そのため彼女に自分の足をしっかりと地につけ、エネルギーを上から下へと受け流して欲しかった。
まずは足踏みをするように言った。彼女は最初は体が硬直し、なかなかできなかった。私は彼女を支え、呼吸を先ほど言った通りしっかりするように促し、彼女が安全な場所で怒りをしっかりと表に表すことができるよう支え続けた。このようにクライアントが心の奥底にたまっているものをしっかりと表に出すことができるよう支えるのもセラピストの役目の一つだ。
彼女が「地に足をつける」ことを促していくなかで、もう一度足踏みをするようにと言った。彼女ははじめはなかなかできなかったが、ようやく静かに足踏みをした。私は彼女に自分の怒りを感じ取り、それをふくらはぎから足の先へと受け流していくように促した。
また彼女の足踏みを強くさせることにより、彼女のなかにある「攻撃的な一面」を受け止めるよう促した。そして、足踏みに音を加えた。私は彼女と向かい合い彼女と同じ強さで足踏みをした。それは、ありのままの彼女を受け止めてくれる人がいる、ということを彼女が感じることができるようにだった。
これこそがゲシュタルト体験なのだ。それは私たちの選択肢と度量を広げて行くために、問題について「語り合う」ことから、自分の「おかしな」行動を探っていくことである。今回のようなセッションではセラピストのサポートを多いに必要としており、クライアントとのアクティビティもクライアントが本当に必要としている根本的な問題を探るものでないといけない。



2016年7月27日水曜日

Case #80 - 子供のままの女性

ダイアンは体は小さかったがネルギッシュな若い女性だった。彼女の話し方は「小さい女の子」のようで、よく口をとがらせて話した。
彼女はグループセラピーに来ても「自分が求めているものはここにはない」と言い、「もう全部前に聞いたことだ」や「私はもう知っているわ」などと言った。
これらの言葉以外にも彼女の行動は子供が駄々をこねているようだった。彼女に自分の年齢をいくつに感じるかと聞くと、5歳、と彼女は言った。
「年齢を逆戻り」した人へは相手の精神年齢に合わせセラピーを行うこともあるが、そのような問題は長期的なセラピーを必要としており、必ずしもクライアントにあてはまるとは限らない。
なので私はダイアンの「現在の自分」を取り扱うことにした。「現在」に焦点をおくことにより、物事を今の状況を考えながら判断していき、しっかりと根付いた現実性を保つことができる。私がそのように判断した理由は、ダイアンが「小さい女の子」視点に凝り固まっており、「子供」を相手に話かけたとしてもいつまでたってもその状態に抜け出せず、セラピーがうまく進まない可能性があると思ったからだ。
そこで、彼女に「自分の声に耳を傾け、私と一緒に今のこの場所に来よう」と呼びかけた。私は彼女が26歳であり、大人の女性の体を持っていて、他の人たちと同じ大人であることを言った。彼女はまたもや「いやいや」をしたが、私は今彼女の前におかれている選択肢に目を向けさせ、再度いま現在あるこの場所に私と共に来るよう促した。
彼女は猫背になっていたので私が背筋を伸ばしちゃんと座るように言い、自分を隠さず胸をはるように言うと、彼女は私の言った通りにし、すぐに見た目もさきほどと見違えて良くなった。私は彼女に自分の体の女性である部分—胎盤や子宮など--に息を吹き込むようにと言い、自分が大人の女性であることを体の奥深くから感じとり、周りにいる他の女性を見ながらみな、大人の女性でありその事実によってつながっていることを感じ取るよう促した。
彼女は「難しすぎてできない」と言ったが、私は彼女が今このことをすることによりだんだん変化してきているから大丈夫だ、と彼女を励ました。
それでも彼女は大人の自分をなかなか受け入れることができなかったようだ。私は彼女にもう一度自分の体に思いを集中するように促した。その時だった。彼女は自分には4ヶ月も生理が来ていないことを打ち明けたのだった。それは医学的な理由ではなく、付き合っていた男性と別れるという辛い思いを体験した後からだった。しかしこれははじめてではなく、以前も起こったことだったそうだ。私は彼女の女性である自分は内なるものではなく、外因的要因によって左右されているようだと言うと、彼女は耳を傾けうなずいた。
彼女が私の言葉に心を開いてくれたので、私は彼女の今の状況をはっきりと伝えた。それは、彼女が小さい子供のまま成長を拒んでおり、大人の女性になり、他人の意見に左右されない強くたくましい女性になることを拒んでいることだ、と言った。私は彼女にはっきりと、無力な小さい女の子ではなく、大人の女性としておおいに成長を遂げる彼女を見たいし、そのようになれるよう助けたいと言った。そして、彼女に自分の体に語りかけるよう促した。それは、自分は大人の女性として生きるのだ、ということと大人の女性であること、すなわち女性としての受胎能力と血がからだの中で流れていくことを受け入れ、他人がどう思おうとそれが自分を卑下させることは絶対にしないということ。
私は彼女がもっと多くのことを私から聞くよりも、今聞いて感じ取ったことに思いを馳せて欲しかったので、セラピーを終わらせることにした。彼女のこれからの課題は人に頼るよりも、自分で物事を探って行くということだったからだ。
私は彼女に宿題を出した。それは、携帯のアプリで月の満ち欠けを毎日見ながら自分の体に話しかけ、自分が大人の女性であるということを認識し受け止めることだった。
今回取り扱ったセラピーは「典型的」なゲシュタルト法だった。人間関係やその中で感じるものを実際体験する、という現代的なスタイルのほうが私には合っているが、大人としての決断性、現在あるものに対しての責任と自活力を重点としクライアントを問題に直面させる方法もたまには用いる必要がある。問題に真っ正面から向き合うconfrontative styleは時と場合を間違えたり、やりすぎてしまうこともあるので注意が必要だが、クライアントがこのような言葉を受け入れる準備が出来ている場合はクライアントにとっては警告として必要な場合もある。
長期心理療法では「小さい女の子」でありたい彼女と向き合いそれを探って行く余裕もある。このように「子供のまま」でいることは必ずしも悪い事ではなく時として必要な場合でもあり、ゲシュタルト法ではこれを「想像的調節」と呼んでいる。そうしてこのように「抜け出せない」クライアントと「共に」語り合い、その状態をあるがままで取り扱うことも大切だと私たちは考えている。人々は、誰かに無理矢理抜け出そうとさせられるよりも、私たちの支えと理解、そして「共に」その状況を抜け出すことを求めているのだと私は思う。
ただ、相手を尊重しながら問題と向き合わせることには時と場合を十分にわきまえる必要があり、セラピストとして自分のモチベーションや考え方に深く注意しないといけないことも私は理解している。それは、自分はなぜ相手を問題に直面させようとしているのか、また私自身にとって直面しないといけない問題は何であるかを考える必要があるからだ。これらの考えはクライアントとの相互関係の中で持ち出していくことも可能なのである。それはゲシュタルト法は一方的な相手への思いやりでもなく、ただクライアントに問題直面させることでもなく、本当の意味でクライアントを理解し彼らが変えられる助けをすることだからだ。

2016年6月22日水曜日

Case #78 - 孤独と人間関係

タッドという若い男性は子供の頃7歳から14歳の時に寄宿学校に通わされ、両親には休暇の間の2ヶ月だけ毎年会っていたが、彼が家に帰ってきているわずかな時でも父は仕事が忙しくほとんど家にいなかったと語った。
なので私は彼の父親との関係や孤独感について話をした。彼は暗い所にいることも怖かったそうだ。私は彼に自分の孤独をどう受け止めているかを聞いてみた。彼は一方では自分が一匹狼であり自由でいることを好んでいたが、一方では、孤独による痛みや辛さがあると語った。
宗教が人の心の大きな支えになることもあるので、彼のスピリチュアリティについて聞いてみたところ、何度かヴィバッサナー瞑想のキャンプにも参加したことがあり、自分なりの人生観も持っているが、特に強い宗教への思いというのはなかったので、彼のスピリチュアリティはここではあまり助けにならないことが分かった。もし彼が強い信仰を抱いているものがあるとしたら、私はそれを探っていかなければいけないからだ。
私はさらに、彼が「父親像」として私をどう見ているかを聞いてみた。彼は私といると落ち着くことができ、素直に心を開くことができ、また自分が誰かに支えられていることを感じることができ、ものごとをうまく伝えることができると言った。セラピーの中で彼がそう感じていることは分かっていたが、あえて自分が感じたことを言葉にすることにより、ものごとをより深く体験することができるので、私はそのように促したのだった。
彼は人との関係の中で「孤独感による愛の必要性」が強すぎて、パートナーにとっては重くなってしまう可能性があるということを指摘した。そこで、私は彼がどれくらいその想いが私に対してあるかというのと、グループの中にいる一人一人を見つめながら、自分の心がどう動かされ、孤独な気持ちがどう表面下してくるかを感じ取るよう促した。
私がこうさせたのは、彼が人と触れ合いながら自分の心の変動を意識し、一人一人違う人と会いながら相手に対しどのように自分を表しているかを意識させたかったからだ。
そして、彼が私に何を求めているのかを聞いてみた。それに対し彼は「自分が孤独であることを気づいてもらい、ありのままの自分を愛してもらうこと」と答えた。彼はすでに色々なことを私に打ち明けてくれていたので、彼の経験を探って行くことよりも、今度は私が彼に自分のこと打ち明ける番だと答えた。
私は自分が子供の頃親と離れていたことや大人になっても父親から必要な愛と支えを受けることができなかったことを話した。タッドと似たような経験を語ったのは彼の想いを理解していることを示し、私がそれらのことに対しどう対応したかを伝えたかったからだ。
こうして私たちの心はより深くつながり、強固なものとなっていった。
ゲシュタルト法ではいつも「今、ここに」ということと「私とあなた」に焦点をおいている。というのは、クライアントから与えられたテーマを大きな範囲ではなく、今その人の人生において現在起こっていることを具体的に取り扱うことがゲシュタルト法だからだ。そして、グループセラピーや個人セラピーを通し可能な限りそのテーマ(問題)を探り、体験することである。
今回のクライアントの場合、今後の課題としては彼の「孤独感」という感情を取り扱い、他の人といる時にそれをどう感じるかをより深く探って行くことだと思う。しかしそれと同じくらい大切なのは、彼が「人との触れ合い」を体験し、人に彼の存在を「知って」もらうだけでなく、彼が私をも「知り」、私たちがお互いどのような立ち位置にいるかを人間関係を築いていくなかで知ることである。


2016年5月24日火曜日

Case #77 - 冷静さを保つための「バリア」

トムはある問題に関して「視野を広げることができるよう」助けてほしいと言った。彼は信頼関係の大切さを語り、私なら信頼できる人だと言った。
私ははじめに、彼には心を開きたい部分があるのと同時に人には見せたくない部分もあるだろうという推測を述べた。彼には言わなかったが、彼が自分の気持ちではなく「考え」について語ったことをも心にとめておいた。それはトムの感情を取り扱う上で慎重にすすめていかないということを示していたからだ。
私は更に「信頼」とは彼にとってどのようなものかを聞いた。
それは、心理学上で「信頼性」とは重要なものなのだが、それと同時に「信頼関係」とは人の創造によってある程度作られているものでもあるからである。それはクライアントが自分の期待を「信頼」し、セラピストがどのような人かというイメージを抱き、またある程度自分の体験に関して物事を描いていかないといけないからである。なので、クライアントの言っていることを必ずしも真に受けてしまわないように注意しないといけない。
彼は自分が裏切られた場面についていくつか語ったが、それらはどれもビジネスでのシーンだったので、私と彼との間でいう「信頼関係」とはどのようなものを想像しているのかを説明してもらった。それはゲシュタルト法ではいつも「わたしとあなた」、「今おかれている立場」に焦点をおくようにしているからである。彼は「あなたの人生の決断や心理学者として働いている理由をしりたい」と言ったので、私は自分が今の仕事をしている理由をいくつか挙げた。それらは人に仕えること、効果的なセラピーを行うこと、未解決の心の問題を解決すること、楽しむこと、自分の給与を得ることなど、だと言った。私が今の仕事をする上での決意や考えを包み隠さず話したので、トムは納得してくれた。
私は彼の今抱えている問題について聞くと、元妻のことだと言った。その言葉を発した途端、彼は感情的になってしまった。私はそれをトムに指摘したが、彼は何も言わなかった。
しかし今の状況を説明し、彼らには息子がいる事を話した。彼は家庭を築くためにちょうど良い場所を探そうと頑張っていたのだが、元妻はトムの見つけたところはどこも好まず、また自分からも探そうとしなかった。とうとうトムは怒りがたまり、元妻に「俺たちが一緒に住むためは二人が納得いくところを探さないといけない。色々な候補を探しだしてみて、君の意見も取り入れたいから考えてくれ。」と言ったのだった。しかし彼女は何も答えをださず、彼らはとうとう考えが一致することなく別れてしまった。
更には、彼らが別居し、その後離婚をしてからは、元妻は彼と全く話しをせず、また息子の面倒も見たがらなかった。そのためトムたちは父子家庭になり、彼女は今13歳になる息子を年に何回か訪れるだけだった。
今週末は元妻がくる週だったが、息子は母親に会いたがらなかった。
トムがこれらのことを語っているとき、彼の目には感情があふれていたが、私がこの事を指摘すると彼は必ず「私は今落ち着いています」と言った。
この苦しい状況の中で解決法を探るには、彼の「心の未解決の問題」を取り扱う必要があると指摘した。また、そのためにはトムが自分の気持ちと向き合わないといけないことも指摘した。だが彼はいずれも無口のままだった。私はトムの助けになるかと思い、彼が今感じているであろう感情をいくつか並べてみた。それらは哀しみ、後悔、怒り、いらいら(フラストレーション)などだった。
彼はうなずき、特にいらいら(フラストレーション)を感じていると言ったのでわたしは体のどの部分でそれを感じるかを指すように言った。彼は自分の腹部を指したので、その感情をそのまま保つようにと言ったが、彼はまたもや「落ち着きを取り戻した」と言った。
なので私は彼にもう一度腹部に感じるフラストレーションが具体的にどこにあるかを感じるように言い、彼はある一定の場所でだけ感じると言った。それはあばらの下の部分で、そこから上は「平静」なのだという。
私はこれはゲシュタルト法で呼ばれる「創造的調節」であり、私たちが困難な状況に陥ったとき、圧倒されてしまわないように「冷静さのバリア」を張るのだと説明した。この対策法はその時は有効なのだが、時が経つにつれ、私たちのくせになってしまい、そのうち役立たずになってしまう。ゲシュタルト法ではこれを「抵抗(resistance)」と呼び、私たちが今の状況から目をそらすために用いることがある。これらのものは人間には必要であり役に立つものであるが、もっと意識的に取り扱う必要がある。
私はトムにこれらの事を説明し、かつては彼の「バリア」は有効的だったが、今になっては他の方法で自分自身の気持ちと向き合わないといつまでも未解決のままであると指摘した。また、そのためには彼の協力と彼が以前語った「人生の目的や決意」を知り、彼自身のモチベーションが必要だと言った。
彼はうなずいたが、私の助けが無いとなかなか難しいことは分かった。なので、私は彼に同情を示し、今彼のおかれている状況がどんなにかつらいだろうか、と語りかけた。私は自分自身のつらかった体験を語り、彼が今おかれている状況で様々な強い感情を感じているであろうことを言った。
また元妻の言動からはなぜ彼女がそのように無関心のままであったか理解できなかったので、トム自身の努力も必要だと指摘した。彼も元妻の行動は理解できなかったが、半分あきらめていて、しょうがないのでありのままで受け入れる、と言った。確かに彼が言っていることは正しいが、それでもトムは自分の気持ちをきちんと整理する必要があり、ここの部分は「冷静さのバリア」で守られていない部分であることを指摘した。また、怒りが彼の代わりに息子の中にでてきているということも指摘した。
これらのことを全て述べてから、もう一度自分の腹部に感じる感情を言葉にするように言った。トムは「怒りがある」と言い、私はそれらの感情を何かに例えるように言った。
彼は「肉入り蒸し団子(dumpling)」と言ったので、私はそれを説明するようにお願いした。彼は外側は皮に穴があいていて、中には身が詰まっているさまを語った。中の身は「黒いもの」。それは、彼の感情の中枢となる部分だった。私が彼に「黒い身の部分」に成りすますように言うと、彼は自分の心には「黒いもの」の破片があると語った。
私は彼のこの言葉を聞き、トムとのセラピーは思っていたよりも長くなることが分かったので、彼にそれを伝えた。
こう伝えた後、彼にその「黒い」かけらの部分に意識を集中するように言った。彼はだんだん感情的になり、「でも彼女(元妻)は私の心のこの部分はどうでもいいのだ」と言ったので、私は「いいえ、今わたしはあなたとともにいて、あなたの心の声に耳を傾けています」と答えた。
私たちはしばらくその場でお互いの存在を感じ取った。今回は彼の目に怒りがあらわであるのが分かった。彼はやっと私に自分の感情を見せることができたからだ。
しかしすぐにまた「心が落ち着きました」と言った。
これが彼の創造的調節(creative adjustment)であり、つまり自分が受け止められるだけの感情を感じると同時に自分の怒りと少しずつ向き合いはじめていたのだ。
トムとのセラピーはこのような一連を何度も何度も繰り返し、ゆっくりと彼の心につもった怒りを出して行く必要があると私は分かった。このようにしばらく時間をかける必要がある時もクライアントにそのことを明確に伝えることはとても大切である。私たちは今回のセッションで多くのことを達成したが、まだまだ課題は残っていた。

2016年5月16日月曜日

Case #75 - 自分の想い、人からの期待

ブリジットは18年共にいる夫との間に諍いがあったので、私に会いにきた。それは彼女は両親に一緒に住んで欲しいのに、夫はそれを嫌がったからだった。
そこで私はいつも通りクッションを2つ用意し、一つは彼女に、もう一つは夫に見立てて「会話」をすることにした。
「会話」をすすめていく中で分かったことは彼女は幸せな家庭を築いていて、自分だけが幸せな想いをしているようで、両親に対して罪悪感があること、また両親の気持ちも配慮しないといけないという考えを持っていることだった。
「罪悪感」というものは「ねばならない」という思いが裏に隠れている事が多いので、私は彼女の罪悪感を取り扱うことにした。するとやはり、彼女は「私は両親よりも幸せになってはいけない」という思いを抱いていたのだった。
今度は「ねばならない」という思いを擬人化し、「ねばならない(こうしなければいけない)」と彼女との対話にした。「ねばならない(こうしなければいけない)」という思いはブリジットにお説教をし、両親に対し「良い娘であるべきだ」と言った。そのように言われた彼女は逆切れし、「私が自分の人生をどう歩かを決めつけないで」と言った。
私は彼女に対話を続けるように促した。しかし、彼女はとうとう「ねばならない」に降参してしまい、「分かった、分かった」と言った。だがこれは本当の意味での同意では無かったので、私は彼女に対話を続けるようにいった。
すると彼女は突然5歳の頃のある出来事を思い出したのだ。それは、母親が彼女にご飯を食べさせながら「あなたが大きくなったら今度は私の面倒を見るのよ」と言っていたことだった。私はこのように言われた彼女に対し、5歳の自分では無く43歳の自分として母に答えるよう促した。すると彼女は「私はあなたの娘であって、母親では無いのよ。私があなたの面倒を見ないといけないというのは、なんだかおかしいわ。」と言った。
彼女は母親にはっきりと自分の気持ちを伝えることができた。また、そうする中で彼女の中で何かが変わったのだ。人が物事に対して新しい見方を知り、それを感じ取る具体的な体験をし、「気」の変化が起こるとき、心理学では「統合」と呼ぶ。
ブリジットがはっきりと自分の気持ちを言葉にすることにより、彼女は物事をうまく「消化」し、自分の心の養いになるものだけを受け取り、不要なものは捨て去ることができた。
「ねばならない(こうしなければいけない)」という思いは私たちが社会や両親から受け取った消化しきれない考えなどを指している。それらはある意味正しいことで道徳的価値のあるものだが、人それぞれによって受け取りかたも違う。そのため、その人に合う方法で伝えないといけないのだ。そうでないとそれらの言葉が無意識にも意識的にも圧抑を持つことになり、私たちはそれらの言葉を外からのメッセージやアドバイスとしてではなく、自分の心の中に取り込み、自分を苦しめてしまうことになるのだ。
ゲシュタルト法ではこのような無意識に取り込んでしまった考えを取り扱い、今のクライアントの状況と照らし合わせるようにしている。

2016年5月8日日曜日

Case #74 - 癒しの手を受け入れる

私はアナベルが自分の人生や人間関係について詳しく語ってくれて非常に助かっていることを話した。私たちはお互い相手の話を聞く事ができ、お互いの価値観を共有することのできる場を私は提供するようにした。なので私はカウンセラーという立場はおいて、自分も色々なことを打ち明け、自分の価値観と行動、他の人に対しての気持ちや相手に何かをしてあげることの中で自分がどう思うか、また自分自身の必要や自分ができることに限りがあることなども話した。
アナベルは自分が相手に何かをしてあげることは容易にできるのだが、誰かに何かをしてもらうことはなかなか受け入れにくいと言った。更には、食すことにおいても楽しみをあまり感じなく、いつも無理して食べているということも話してくれた。
まず、彼女が話した「食べ物の問題」は心理学的には大きな問題を抱えていることを表しているが(食べ物というのは子供の頃の家族関係やまわりの人との関係を表している)今は心理治療関係にフォーカスしたかった。
そこで彼女が誰かからの「養い」を受け入れることのできるアクティビティを考えてみた。
私たちは手を取り、彼女の手をゆっくりとなでてあげた。彼女は同じ動作を私にもし始めたが、それは「受け入れる」ことよりも「相手になにかをしてあげる」という好意になっていたので、私は彼女をとめた。私はこのことを通し彼女が人から愛情と養いを受け入れることができるかを見てみたかった。しかし、彼女はなかなかそれを受け入れることができず、腕がかたく、まるで硬直しているかのようだと言った。また彼女は唇をかみ、私が差し出している「癒し」を拒んでいるようだった。
なので彼女の手を取ったままの状態で彼女の腕をゆっくりと上にあげ、動かした。彼女の腕をゆっくりと回しながら、体の力を抜き、リラックスをして、私に身を任せるようにと言った。しかし彼女はなかなかリラックスすることができず、私の手をしっかりと握り私が彼女の腕を動かす動きに合わせて自分でも腕を動かしてしまった。
私たちがこの一連の動作をする中で、彼女は少しだけリラックスし私に身を任せることができたが、なかなか私に「完全に頼り切る」ことができなかった。
なので私は宿題として他の誰かとこのアクティビティをするように課題を出した。
またこれからのカウンセリングで必要になってくるものは様々なことがあるが、特に彼女が他の人に頼ることができないことや「食」というものが成長して行く中でどのように彼女に影響を与えたかを知る必要がある。
ゲシュタルト法では「壁」にあたった時、それを押し倒していくのではなく、その「壁」があることを認識しそれを受け入れるようにしている。また創造的調整(creative adjustment)をもたらした環境や理由を探るため、家族関係など全体的なことを見る様にしている。そして「創造的調節」を受け入れ、理解し、肯定的に扱うようにしている。こうすることにより、私はアナベルがなぜそこまで物事を手放すのを恐れているのかをよりしり、彼女が手放すことで何を失うことを恐れているのかを知ることができる。おそらく、彼女の家族関係の中では「信頼」や「(人への)委ね」は良い結果をもたらすものではなかったのだろう。
このような背景があるため、今後のセラピーでもゆっくり、彼女のペースに合わせて行く様十分注意しないといけない。彼女が「癒し」を受け入れることができるよう、一歩一歩すすめていかないといけないのだ。
また、セラピーで実際に食べ物を使うこともできる。例えば、切ったりんごを用意し、りんごを食べる一つ一つの動作を通してどのように感じるかを考えるアクティビティなども効果的だと思う。ゲシュタルト法では「何かをすることに漠然とついて話す」ことよりも実際にそれをやってみて、その行動を通して自分がどう感じるかを認識することに焦点をおいている。

2016年5月1日日曜日

Case #73 - 相手を通して自分の気持ちをしる

マルタはカウンセラーだったが、とても理性的な人で、自分自身の気持ちを理解することがなかなかできないと嘆いていた。
私は、まず今ここにいること、こうして会うことにより何を感じるかにフォーカスすることにした。それは具体的には、今こうして私と会うことにより何を感じるか、私たちの「触れ合い」は彼女にとってどのようなものであるかという質問だった。私は彼女に質問するごとに自分の気持ちも話した。
次に部屋を見渡しながら一人一人の人を見て、人それぞれによって自分が違う感情を抱いているのだということを感じ取るよう彼女に促した。
そして最後に、私自身が「カウンセラー」という立場から「クライアント」へと切り替えた。彼女は私の感情にすぐ気がつき、「あぁ、あなたは哀しいのね。」と言った。私は大切なことは彼女自身の気持ちであると指摘した。それは彼女自身が自分の「哀しみ」を体験することだった。まず自分がどのような感情を抱いているのかを知ってから、私がどうして「哀しい」のかを聞く様促した。今回、私が「哀しみ」を感じていると指摘した彼女は当たってはいたが、このようにすぐに思い込みをしてしまわないよう注意しないといけない。人は「自分は相手の気持ちを察する事ができる」と勝手に思い込んでしまっている時がある。ゲシュタルト法ではこのような考え方ではなく、必ず境界線を引き、まず自分自身の感情に敏感であることを促している。私たちは相手の気持ちを察し、それが当たっているか相手に聞かないといけない。相手の気持ちを「知っている」、「分かっている」という考えは相手に対して失礼であり、また相手のためにもならない。
もっと心理学的な用語を用いるとしたら、このことを「投影」と呼ぶ。私たちが相手の気持ちを100%分かりきることはできない。それは相手の気持ちは相手の心と体の中にあり、私たちは相手の心を持っているわけでは無いからだ。もしかすると私たちの感情は相手のものと一致するかもしれないが、それはあくまでも私たち自身のものである。
そのため、「投影」というのは私たちが自分の感情を道しるべとしながら、相手の気持ちを想像するというものだ。こうすることにより、私たちはこの世の中に順応していくことができ、他人の気持ちを理解し、(願わくば)相手と同じことを感じることができるのである。しかし、まず相手の気持ちを確認せずには自分の「察したこと」が合っていたかどうかは分からない。
ゲシュタルト法ではこのような会話の中で相手の気持ちを伺い、コミュニケーションをとり、自分が相手のことを正しく理解していたか確認するために正確な言葉を用いることが重視されている。私たちが相手とうまくコミュニケーションをとることにより、あいまいで僭越したもではなく、はっきりと相手の思いを理解することができる。

2016年4月16日土曜日

Case #72 - 痛みに対しての解毒剤

サマンサはビジネスウーマンとして成功していた。でも、なかなか生涯のパートナーを見つけることができなかった。彼女は、自分はビジネスを頑張るか、パートナーを探すか、どちらかひとつにしか集中できないという問題を抱えていた。
彼女はこのことでとても苦しんでおり、とてもみじめな思いをしていると言った。彼女はなかなか良い男性に出会うことができなかった。
彼女の話を聞けば聞くほど彼女の嘆きがよく分かってきて、本当に哀しい思いをしているのだな、と思った。彼女は本当に哀しそうな顔をしていたので、その理由を聞くと、自分は特に理由がなくてもいつも哀しくてそれは良いパートナーの男性がいないからだと思う、と言った。
クライアントは明確な問題(自分の「悩み」)を抱えてくることもあるが、ゲシュタルトでは必ずしもこれを解決へ導こうとするより、その過程に心を傾けるようにしている。つまり、「そのこと自体」よりも「どのように」ということに集中するのだ。サマンサの場合、私は彼女の哀しそうな声のトーンと憂鬱な気持ちが気になった。もちろん、「問題」に耳を傾けることも大事だが、そればかりにとらわれないように注意しないといけない。ゲシュタルト法では、その人の情緒状態(今感じていること)にまず気を配り、内容は次にくる。
そこで私はあるアクティビティを提案した。彼女に部屋を見回し一番好きな色を選ぶように言った。彼女は壁に描かれた緑の木と同じ緑色を選んだ。
私は彼女にそれを見つめ、お腹に手をあて、その色を見つめ、それにつつまれた素敵な気持ちも一緒に吸い込むように息をするように言った。しかし彼女は泣き出してしまい、目をつぶってしまった。私ははっきりとした力強いトーンで彼女に話しかけ、今の想いから逃げ出してしまわず、しっかりと見つめ、息をし、良い感情をとりいれるよう伝えた。
「今を生きる」ということはゲシュタルト法の根本であり、基盤であるため、よくセラピーでは「今おきていること」を見つめるようにクライアントを促している。そうすることにより、ゲシュタルト法の目的である、「生き生きとした自分を見つける」ことができるのだ。
次に私は部屋にあるものを一つ選ぶよう彼女に言った。彼女は緑のろうそくを選んだ。
私はまた同じようにろうそくを見つめ息をゆっくりするように促したが、彼女はまたも自分の殻の中に閉じこもりそうになった。なので、私は今起きていることから逃げずにそれを見つめるようまた促した。彼女は頑張って目を開けていたが、突然「リビング・デッド」(死んでいるのに生きている)という言葉を発した。私がその言葉の意味を彼女に聞いたところ、「自分には罪悪感がある」と言った。彼女は中絶をしたのだが、未だにその傷をひきずっていたのだ。
やっと彼女の心の悩みの根本的な理由が分かった。人は、人生を生き生きと生きるためにはまずこのような根本的な心の悩みと向き合わないといけないのだ。
なので私は彼女のためにある「儀式」を思いついた。それはろうそくをともし、生まれることの無かった子供への想いを話し(話す言葉は私が考え)、それをしっかりと受け入れ、そして手放すこと。。。つまりろうそくを吹き消すということだった。
彼女がこうすると、次第に安定感がもどってきた。
私は「ろうそくが全て燃え尽きるまで毎日この『儀式』を続けるよう」彼女に提案した。
そして彼女にもう一度緑のろうそくを見つめ、お腹に手をおき、「喜びや嬉しさにあふれた良い気持ち」を吸い込むように言った。今回は、彼女はしっかりとこれをすることができた。
人は憂鬱になっている時には、現在起こっていることにフォーカスせず、すぐに「今まで慣れ親しんで来た嘆き」の中に陥ってしまう傾向がある。そのため、その人を今起こっていることに焦点を戻させることはとても大事なことだ。
鬱な気持ちにひたっている人のための一つの「解毒剤」(対策)は、喜びやうれしい気持ちを取り入れることだ。こうすることにより、人は強くなり「人生で何が起こっても生き抜くことができる」ようになる。


2016年4月1日金曜日

Case #71 - 3つの願い

ナヴィンは趣味として妻とアートのクラスをやっていることを話してくれた。私は彼の奥さんがどのような人かを知りたかったので、聞いてみると、彼は妻は強くたくましいと話した。私は自分の経験からも語り、彼との信頼関係を築きたかったので、自分の妻も強くたくましい女性だということを彼に話した。
私たちは共通のものを見つけることができ、それぞれの妻との関係について話した。彼はまたティーネージャーの息子ともしっかりとした関係を持っていることを話した。私は更に彼との共通点を探るため、色々と質問をし、それぞれの応えに対し自分の経験や思いも話した。
ナヴィンは自分が妻との関係のなかで、どちらかと言うと受け身であるということを話した。彼はほとんどの場合彼女の言うことにしたがっていて、例えば彼女が行きたいレストランへ一緒に行く、というのが定番だった。しかし、ある時彼がいつもの場所に飽きたため違うレストランを選んだのだが、彼女が文句を言わずに彼の意見に賛成してくれたことにナヴィンはとても驚いたことを話してくれた。
彼の話を聞き、ナヴィン達の夫婦関係はナヴィンのイージーゴーイング(寛大)な性格に基づいているのだということが分かった。私は自分もこのようであるということを話し、彼に自分の経験談も語った。
そこで私はあるアクティビティをすることにした。ナヴィンは3つの願いが与えられていて、3つめの願いでは「あともう3個願いをください」とねだらないといけない、というものだった。そして彼にある一日を想像し、朝からはじめ、自分が心から願っていることを、妻にお願いするよう考えてみるように促した。
彼は自分が願っているものをなかなか思いつくことができなかったので、私たちは朝からはじめ少しずつ色々と考えていき、彼にいくつかの例なども与えた。彼は徐々に自分の願いを語ることができ、一日の中で起こる様々な出来事の中で妻に何をお願いするかを思いつくことができた。
このアクティビティはとても簡単ではあったが、彼にとっては大きな変化を伴うものであった。ゲシュタルト法ではいつも物事の核心を探っていくことを重要視しており、人間関係の中でのコミュニケーションを豊かにしていくことを求めている。
このアクティビティでナヴィンはしっかりと自己主張をし、自分の想いをもっとはっきり伝え、彼自身がどのような人間であり、かれが何を求めているかを相手に伝えるチャンスが与えられた。人々は今の人間関係の中身を任せ物事のあるままに流れて行くこともできるが、私たちは人々が人間関係の中で深みを見出すことを求めている。この「深み」を生み出すためには私たちは自分がどのように感じ、何を求めており、自分が誰であるかという、「裸の自分」を相手に見せないといけない。こうすることにより、私たちは相手にほんとうの自分を知ってもらい、相手との親密性を深めることができる。
一般的に女性のほうが「物事を進めていく」要望があり、自分の願いを知ってもらい、自分の想いを聞いてもらい、相手に応えてもらうことを願っているが、同時に男性にしっかりとリードをして欲しい、というバランスを求めている。今回のアクティビティでは、ナヴィンは安全な環境で、このような「リード」をしていくことができ、自分の想いをはっきりと言葉に出すことができた。
今回のアクティビティはただの「練習」だが、このようなシミュレーションによるリスクは必ずある。それは新たな自分を生み出し今まで埋まっていた自己や想いを引き出すからである。ほとんどの場合、このような過程の中では「押さえつけられていた憤り」もしくは「感動」を経験したりあるいは両方の感情を経験することもある。これらのアクティビティを行って行く中で重要なのはただアクティビティをするだけでなく、必ずクライアントの感情の変化にも細心の注意をはらうことだ。

2016年3月17日木曜日

Case #68 - 苦痛を伴う「事実」

マンディーとブライアンは夫婦カウンセリングのために私のところへきた。彼らの結婚は今、危機的な状態にあった。15年の結婚の末、二人の子供も与えられていたが、ブライアンは(4回目の)不倫をしていた。マンディーは40歳という歳で、がんばって結婚生活を守ろうとしていた。彼女は絶対に離婚はしたくなかったのだ。ブライアンはしぶしぶついてきた。
ブライアンは慎重で用心深く、すぐに心を開いてくれなかったので私はまずマンディーとセッションをすすめた。私はまず彼らの結婚生活についての背景と彼女についていくつか質問をした。その後、今の結婚生活について聞いた。彼女は夫とは6年間、親密な関係を持っていないと語ったが、それに慣れることを学んだと言った。彼女は夫がリードしてくれるのを待っていたが、彼がそのようにすることはまずなかった。彼女は友達とも話したが、友人達は「あんまり期待できないよ」と言い、もうあきらめて子供や他のことに注意を向けたほうがいい、とアドバイスしたそうだ。
私は夫婦の親密性、セックス、子供、金銭面、お互いのサポートなど、結婚生活の様々な面でどれほど結婚生活が充実しているか聞いてみた。すると、低いものは5%の充実感から高いものは50%で、親密性というのは一番低いランキングだった。彼女は自分が納得するためには平均30%になったら満足、と言いそのためにはなんでもすると言った。
今度はブライアンにそれぞれの充実面に関して聞いてみた。彼の数値はマンディーより低かったり高かったりするものもあったが、どれもわりと同じような数値だった。しかし、彼は満足するためにはそれらの平均値が75%であることを求めていた。
しかし、この夫婦の問題は今に始まったものではなく、ここ10年続いていたことだった。彼らはお互いのことを語り合わなかったし、難しい話は避けていた。
マンディーは瞑想をすることでストレスを解消していた。ブライアンは自分を無感覚にし、仕事に打ち込むことで忘れようとしていた。このような結果、今の危機的状態が生まれてしまった。彼は不倫相手と別れるつもりはなかったし、彼女もこのままの状態を続けたくなかった。二人とも行き詰っていて、それをお互い語り合い問題解決するすべも持っていなかった。
ブライアンと話したところ、彼はもう完全にお手上げだった。もし解決策があったとしても、彼は夫婦関係を守り、結婚生活をどうにかして改善しようという気は全くなかった。彼はもう先に進んでいて、彼女との結婚をなんとかして抜け出したかったのだ。
これはマンディーにとっては許しがたいものだった。彼女はなんとしてでも解決策を見つけるつもりだった。彼女の愛こそが、情事におぼれている夫の目を覚ませるのだ。
しかし、もし彼が浮気を続けるのなら、彼女は最後までしがみつき、離婚という「自由」を彼には絶対に渡さないと言い張った。私は、彼女の宣言は「愛によって夫の目を覚まさせる」よりも、「バトル」になっている、ということを指摘した。
マンディーにとってこれは辛い事実だった。彼女はあまりにも不安が募っていて、固く決心していたので、ブライアンが今いる状況をまともに見つめることができなかったのだ。
なので、私は彼に、もう本当にこれでおしまいなのか、どのような条件があったとしても彼の決意は変わる事はないのかを聞いた。そして彼は、「はい、そうです」と答えた。
なので私は彼がその気持ちを「供述」するように促した。
マンディーは彼が言っていることをなかなか聞きいれることができなかった。彼女は彼と議論し、なんとか彼を説得しようとし、彼の言ったことを否定し、更には彼を脅迫しようとした。私は彼女の気持ちを理解し、彼女が夫の言い分を聞き取ることができるよう、彼女を支援した。彼女がやっと夫の言ったことを聞き入れることができたとき、「こんなの受け入れられないわ。死んだほうがましだわ」と言った。
私はまた彼女を励まし、どんなにか辛いであろうか、またどんなにか怖いことであるかを伝えた。そして私自身の離婚の体験談を聞いてみたいか尋ね、それを話し、私自身どのようにして辛い時期を通ったかを話した。
私の体験談を聞き少しは落ち着いたようだったが、それでもまだかなりの苦痛の中にいた。ブライアンは今まで麻痺していた感覚が急にもどり、優しくなった。彼はマンディーに彼女のことを大切に思っていることと、彼女の痛みは彼にとっても辛いことだが、彼の彼女への想いはもう親密なものではなくただの友達としてのものだと言った。
この発言も彼女にとっては非常に辛いもので、私は彼女が逃げてしまわないように、助け励ました。
彼女は前のように知らん顔をし、問題否定をしていた頃に戻りたかったが、すでに遅かった。
私の仕事は人々が問題解決をするための助けである。その中で一番大事なことは、各人が心にある真実を話し、お互いの言い分を聞き、そのプロセスで必要な精神的サポートを提供することだ。しかし、夫婦関係の終わりのように荒廃的なものに関しては特に難しい。
今回の件では、マンディーがブライアンの気が進まないにも関わらず、「頑張ってやり続けよう」とすることは無意味だったのだ。彼女の「頑張り」は実は状況をコントロールしようとしていただけで、夫の意見を聞いたとき、それらが露になった。彼女はブライアンが求めているものはどうでもよく、何が何でも結婚を守り続けようとした。
そのため私はマンディーにも自分の「供述」を述べるように促した。それは「私はあなたがどうしたいかはどうでもいいのよ。ただ自分にとって大切なものを守りたいの」というものだった。
これらの言葉を口に出すのは彼女にとっては容易ではなかったが、今の状況をはっきりと言葉にしており、夫も妻の意見をはっきりと聞けてよかったようだった。こうすることにより、お互いが何を求めているのかをはっきりとさせることができたし、実は彼女は「愛で夫の目を覚ませよう」としていたのではなく、夫の想いはお構いなしに自分の必要だけを主張していたということが明らかになった。
これらのものを私は「非・美徳」と呼んでいる。それは私たちの心の暗い部分に潜んでいるもので、自分の行動を「愛」と呼んだり、自分が「被害者」だと思ってて、なかなか自分自身が「相手のことはどうでもいい」と思っていることを認めたくない一面だ。それを認めるのには多大な勇気と多くの精神的サポートが必要になるが、真実を語ることには開放感があり、また何か新しいことが起きるスイッチともなる。
今回のセッションはなかなか認めにくい「事実」を取り扱ったが、このようにして本当のことを露にしない限り、ただいやみと怒りと自己防衛がいつまでも残るだけだ。そして、それぞれの話しがどんどん自分の立場に良いように話が進んでいくだけになってしまう。
言っておくが、「真実を相手に伝える」というのは相手を攻撃するためのものではない。それは、自分にとって本当のことを明らかにするためである。相手がそれを聞くときに、心理的なサポートが必要なときもある。ゲシュタルト法はこのような人と人との間の問題解決に焦点をおいており、また相手に本当のことを語ることは変革をもたらすということも理解している。
こうしてお互いがそれぞれの想いを言葉にする場を提供することで、相互のコミュニケーションの改善を目指している。その中では、ある特定の結果を求めたり、片方を承認したり否定したりするようなことはしない。

2016年3月8日火曜日

Case #67 - 古風な結婚生活か、それとも「今風」の結婚生活か

ハンとユエンは婚約をしていて、彼女は35歳、彼は43歳だった。彼らは二人で解決できない意見のぶつかりあいがあり、私のところに来たのだった。それは、ハンは結婚した後も母親が一緒に住むことを希望していたのだが、ユエンはそれに絶対反対していたからだ。
私は二人のことをもう少し詳しく聞いてから、結婚にあたり一番心配なことは何か、と聞くと二人ともこの問題が一番大きな心配ごとだと答えた。
しかし、彼らは結婚にあたり他にも色々と話し合っていないことがあるのがわかった。そのため私はひとまず今の問題はおき、もう少し広い範囲で物事を見てみよう、と提案した。まず、二人が中国でよくある古風な結婚をどれだけ重視しているか見るため、あるアクティビティを提案した。それは、ひとつの端はかなり伝統的な結婚スタイル、もうひとつの端は今風の結婚スタイルとし、二人がその中でどのように結婚を考えているか判断するものだった。ハンは70%「とても古風な結婚スタイル」で、ユエンはその逆で70%「今風の結婚スタイル」という考えだった。
となると、彼らの間には今の問題よりももっと根本的な問題があり、これからもお互いの考え方の違いによりこれから大きな問題になる可能性はありゆるということを言った。私は彼らに自分の結婚に対する思いを短く述べてもらうことにした。ハンは相手の家族とうまくいくことだった。また彼はユエンには「優しく、女性らしいやわらかさを持っていてほしい」と言った。ユエンは二人が家族から離れ、夫婦としての新しい人生を歩みだすことだったし、彼女は家族にとやかく言われるのではなく、自分で物事を決めていきたいといった。
そこで私は二人に、まず「私の思っていることとあなたの意見は違うから、色々と難しいね。」と言うように促した。こうすることにより、まずはお互いに違いがあることを認めることができるからだ。ハンは最後に「そして君が変わってくれることを願うよ。」と付け足そうとしたが、私は彼をとめた。男女の間でよくある問題は、相手がいずれ変わってくれることを願っているということだった。
なので今度は別の言い方をしてもらった。それは「私たちの間には考え方の違いがあり、私はあなたの考え方に賛成しないかもしれない。でもあなたの立場を尊重する」と。
この言葉は二人ともなかなか言えなく、とくにユエンはこう言うことにより自分の考え方をまったく変えないといけないかのように思ってしまい、なかなか言いたくなかった。しかし、私が「尊重する」というのは相手の考えに屈するということでは無いと説明すると、彼女はやっとその言葉を発することができた。これらの言葉を発しながら、二人とも自分の心の底にある思いがわきでてきた。彼らは相手を変えようと努力するのではなく、ただ相手をそのまま受け入れないといけなかったのだ。このことはいつも男女の間では大きな問題になっている。
しかし、私はユエンが古風な結婚生活を嫌がるのもわからないことはなかった。彼女は家を自分たちだけの住まいにすることに執着していただけではなく、まだ男尊女卑が残る社会でのゆえ、伝統的な考えを持つハンの家族の中で生活し押しつぶされてしまうのが怖かったのだ。
そこで私はジョン・ゴットマン氏の結婚生活に関しての研究結果についてハンに話した。それは男性が奥さんの意見を聞く結婚生活のほうがうまくいっている、という研究結果だった。理由は、一般的な社会生活の中で男性のほうが女性より権利があるからである。
そして私は彼らがこの問題においてお互い同意できる解決策を見つけられるよう、話し合いを促した。確かに物事によってはどちらか選択しないといけないが、クリエイティブな解決策を探しもとめることができる物事もある。
ユエンは最低限、夜は二人だけがいいと言った。
ハンの母親は今までも下の階にある部屋を仕事部屋として使用していたので、昼の間だけ母が来るのはどうか、と提案した。
私は彼女がどう答えるか待った。ユエンは、たまに両親が夕飯に食事にきても構わないが、週末は基本的に二人きりがいいと言った。
ハンはかたい契約書のように色々なルールを作るのはいやだ、と言った。しかし私はお互い同意するためにはしっかりとした境界線を定めるのが重要であることを伝えた。なので二人はしばらくの間話し合い、やっと同意することができた。
なのにハンは急に暗い顔をした。話し合いは案外うまくいき、今までお互い懸念していたことも話し合うことができ、やっと意見をあわせることができたのだ。
なのに、ハンは「どうやって母さんに説明すればいいんだ」と急に言い出した。彼はふたつの大切なものの間に挟まれていて、どうすればいいかわからなかった。
ユエンも泣き出し悲嘆に暮れ始めた。彼女はハンがもとの考えにもどってしまい、古風な考えをまたおしつけてくるのではないかと心配しはじめた。そして彼に文句をいいはじめた。
私は文句を言い始めた彼女をとめて、彼の表情を見るようにと言った。彼女は怒りと恐怖でいっぱいいっぱいだったので、彼を見つめることがなかなかできなかった。両人ともが苦痛の中にいる時は、自分の思いをいったんおき、相手のことを考えるというのは非常に難しいことだ。
ハンは自分の家族に対しての義務感とフィアンセを一番にしたいという二つのものを目の前にし、なんとかしようともがいていたので、セラピーに行く事を提案し、彼よりも心理学的な知識があったユエンに、私はあえてこのようにするよう言った。また彼女が彼を見つめ、彼が今どのような表情をしているかしっかりと見ることができるよう、彼女に集中し、アドバイスをした。私はユエンに、今起こっていることに全神経を向け、彼が今経験している悩みを感じとるようにと言った。それは彼女にとっては非常に難しいことだったが、私は彼女を励まし続けた。私は「愛」という言葉を出し、「あたは彼が今とても悩んでいるということを分かってあげることはできますか?違いがあったとしても、ただ彼をその悩みも一緒に、彼であるからこそ愛することはできますか?」と言った。
彼女はその時自分の恐れを手放すことができ、心に大きな変化が起きた。そして「私たちは必ずしも同じ考えを持っているわけではないけど、あなたを愛するという決断は絶対に忘れないわ」と言った。この瞬間、ふたりの間に深い絆がうまれ、私も思わず感動して涙してしまった。彼らはこの問題を二人で通り抜けることができ、またそれを通してお互いの愛を深めるだけでなく、愛の許容範囲を大きく広げることができた。二人とも自分にとって未知の世界へと飛び込み、そして最後には「新しいところ」へ到達することができたのだ。
私はこれからも二人は様々な問題にぶつかることがあるだろう、と言ったが、これからはどのようにその問題に向き合っていったらいいか心得ているので大丈夫だと言った。
ゲシュタルト法では二つのものがどこかで交わり合うものとして、「違い」という要素に目を向けている。この「違い」の中で接点を見つけるためには自分自身のセルフサポートと相手に対しての興味が必要となってくる。ほとんどの人にとってこれは難しいことで、彼らがこのようにするためにはセラピストなどのサポートが必要となる。このサポートは「具体的にどうするか」という「実践的」なサポートと、その人の心をどう扱うかという「感情」のサポートが必要となってくる。「相違」に直面するということはなかなか難しいことで、怒りを感じたり、怒りや恐怖のなかでふるえる人もいる。今回の場合、ユエンが今起こっていることの中でハンを見つめ、彼を受け入れることができたため、不可能と思われる状況を変えることができたのだ。

2016年2月23日火曜日

Case #66 - おもいっきり殻を破る

ピングは自分がどのような家庭で育ったかを話し始めた。彼女の祖父母は男の子がほしかったので、彼女や女兄弟のことはどうでもよいかのように扱われた。
また、彼女は両親からも愛を感じ取ることができなかった。彼女の母親は彼女を育てたが、愛情表現には乏しかった。また父親は彼女のことを抱きしめることはしなかった。
彼女が8歳のときにおきたある事件について話してくれた。母が彼女に着替えをさせていたのだが、ピングは違う色のワンピースを着たかった。どういう理由か彼女の声を聞いて父がおきてきたのだが、彼は急に怒り出し彼女をつかみ階段の下へ投げ落としたのだ。彼女の顔は血だらけだったが、ピングはそれでも学校へ行かないといけなかった。彼女の先生は心配はしたが、特になにもしなかった。彼女は家に帰りたくなかったので洞窟に隠れていた。そのことを誰かが母親に言い、母が迎えにきた。彼女のことを哀れに思い母は涙を流したが、父はそれでも悪気を示さなかった。
彼女は子供のころの話を語りながら、どんなにか自分の心の中に痛みがあるかを話し、涙した。私は彼女に対し優しく接していたが、彼女は自分の痛みでいっぱいで私が優しく接してあげていることにはあまり気づいていなかった。
私は彼女に私が男性であるという事実を改めて伝えた。しかし、彼女の話を聞いて、男性である私自身も心が痛いということも伝えた。ただ、彼女を傷つけたのは父親であり、本来は彼女を守るべき存在である「親」という存在に傷つけられたのだから、私が彼女のことを助けようとしていても、やはりどうしても父親とのイメージを重ねてしまうところがあるのではないか、と言った。
ピングはうなずき、また涙が頬を伝った。彼女は自立し、他の人が決めた人生ではなく、自分が決めた道を歩んでいきたい、と言った。
なので私は彼女の意見に賛成し、私ができることは可能な限りしてあげたいといった。
すると彼女は今、母親から結婚をせまれれていて、そのせいで仕事も結婚できるような環境にもっていこうとしていることを言った。
彼女の話を聞きながら、私は常に現在へと彼女の焦点を戻し、私が男性であり、なおかつ彼女を助けてあげようとしていることも確認させようとした。
彼女は何回か息を止めることがあったので、私は幾度か彼女の呼吸に注意するよう促した。こうして常にエネルギーが循環していないと、心の入れ替わりを自分のものにすることはできなかったからだ。
ピングは人に左右されるのではなく、自分で決めた人生を歩み、「家族の期待」という息詰る枠の中から抜け出したいといった。
そこで私は彼女にちょっとしたアクティビティを提案した。
私たちは二人ともたって、まわりに見えない円(囲い)を描いた。私は彼女の手をとり彼女の自主性を後押ししていることを改めて伝えた。家族関係の中で、このようなサポートは特に父親からのものを人は必要としているのだが、彼女の場合はそれがなく、また家族から多くの愛情を感じとるという経験もなかった。なので、この場合は私がどちらの役割も担っていた。
そしてしばらく時間はかかったが、彼女はやっとその「囲い」から抜け出すことができ、私も彼女につづいて囲いを出た。やっと殻を破ることができた彼女の両手をとり私はこう言った。「きみはやっと、自分が決めた基準で男性を選ぶことができるのだよ。だから、これからは男の人に思い切り愛してもらい大切にしてもらうことを選びとることをしてください。」
彼女が無意識に父のような男の人と一緒にならないように、私はあえてこのように言った。するとピングは「私はそのような人と一緒になりたいと思うし、男性にそのようなものを求めていくようにするわ。」と答えた。
彼女の言い方はなんとなく受身で自分が選ぶよりは相手にお願いをするという言い方だったので、私は彼女にもう一度言いかえてみるように言った。そして彼女に自分の境界線、最低限彼女が何を求めているのかをはっきりと言わせ、もう一度言い直すように促した。
このようにはっきりと言葉にすることにより、彼女は心に安堵を感じることができた。それはありふれたものであったが、彼女がずっと心の奥底で求めていたものだった。
ゲシュタルト法のセラピーにおいては、いつも「統合」に焦点をおいており、無意識に潜在するものを意識化し、さきほどのようなアクティビティを通し、一歩一歩人格の統合へと導いていく。

2016年2月15日月曜日

Case #65 - 屈折した親子のつながり

キャシーの母親はかなり情緒不安定だった。子供の頃、彼女の母親はいつも子供達を非難し、子供達に対して攻撃的で、何かあるごとにキャシーと兄弟達のせいにしていた。彼女は子供達の心を傷つけ、また子供達が母の愛を必要としている時にもそれを与えることができなかった。そのような情緒不安定でいつも怒りに満ちた母と暮らすのはとてもつらかった。しかし母は時には気前がよく、優しく、子供達の身の回りの必要を世話することもあった。
キャシーはこのような幼少期を過ごしたため、結婚生活の中でも色々な問題があった。彼女は時には愛情に満ちあふれていたが、時にはとても疑い深くなり、母親のように情緒不安定で相手を非難することもあった。彼女は自分が母親と同じようになってしまったことに恐れを感じ、それが夫を傷つけていることも知っていた。
しかし彼女はなかなかその悪循環から抜け出すことができなかった。そしてなにかのはずみで感情的になると、母親のように批判的で怒りに満ちた自分にどうしてももどってしまうのだ。しかし彼女はこのような自分が夫婦関係を破壊しているのが分かっていたので、私に助けを求めてきた。
ゲシュタルトでは問題から逃げるよりもその問題を突き止めるべく面と向かって対立していくのです。キャシーの「問題」は、自分がなりたくないものになりつつある、ということだった。問題の一部として「母親のような自分」に対して抵抗がある、というのも見られるが、彼女が自分の人格を変えることは求めていない。もし彼女を全く別の人格へ変えようとするのであれば、問題を面と向かって見つめるのではなく、ただそれに「適用して」いき、本当の解決にはならないからだ。
私がキャシーの母親の行動は嗜虐的であると指摘すると、キャシーは同意した。私は更に、キャシー自身の行動も同じような性質があるといった。これは少しきつい言い方だったが、キャシーは自分の行動がまわりにどのような影響を与えているか分かっていたので、私の言いたいことを理解してくれた。
なのでわたしは彼女に「わたしが今感じている痛みをあなたにも感じて欲しい」と言葉にするよう促した。こうすることで今までの嗜虐的な関係をあらわにすることができ、彼女自身に自分の気持ちを理解させようとした。キャシーの母親も「母と同じようになった」キャシーも、お互い非常な痛みをかかえており、二人の嗜虐的な行動は心の奥底にある痛みを表していた。
キャシーは少し躊躇したが、私が言った言葉を口にしてみた。それを言葉にすることで、自分は今まで「痛みの中に生きてきたのだ」ということを改めて感じ取った。
こうして自分自身の嗜虐性と向き合うことで、それにコントロールされるのではなく、キャシーが自分の行動をコントロールすることができるようになった。
私はもう少し難易度をあげ、今度はキャシーが感情的になっている時を過程し、そのシチュエーションの中で夫に語りかけているのを想像するように促した。彼女はさきほどと同じ言葉を繰り返した。私はキャシーに自分の感情にふりまわされず、しっかりと自分の感情を見つめ、今体の中にどのようなものを感じるかを考える様うながした。

彼女は吐き気と憎しみ、そして羞恥心と同時に快楽を感じると言った。
これらの言葉はまさに彼女が感情的になっている時の気持ちを言い表していた。こうして「嗜虐性」に真っ向から体当たりしその人の感情を引き出すことにより、ただ何が起きているかを話すのではなく、物事の中核へ到達することができる。自分の中で何が起きているか、その中心にキャシーをたたせることで、実存主義へと導くことができる。今度は彼女にゆっくりと呼吸をし、体の中心を見つけるよう促した。そして、彼女の母親が嗜虐的な笑みを浮かべているのを想像するように言った。彼女はまたもや吐き気と、緊張感と不安を感じた。そこで私は彼女に自分を強くしてくれるものを想像するように言うと、彼女はお釈迦様を思い浮かべた。お釈迦様を思い浮かべると彼女は落ち着きをとりもどした。
次に私はキャシーに母親を思い浮かべそこからでてくる感情を感じ取り、今度はお釈迦様を思い浮かべ、気持ちを落ち着ける、その一覧の動作を繰り返すよう促した。
そして心の中で思い浮かべている母親に対し「私は自分が嗜虐的である時だけあなたと心が繋がっている」と言うよう促した。
この言葉は過去と現在をひとつにする言葉で、今まで母との心のつながりを持つ事ができなかったキャシーだったが皮肉なことに嗜虐的になることにより、母とつながりを持つことができた。人はこのようにして、「自分がなりたくないもの」になってしまうのだ。
この一連の動作をすることにより、キャシーは嗜虐性のある自分の行動に責任を持ち、自分は母親とのつながりがあることを認め、同時に心の奥底にあった感情を感じ取り、自分を落ち着かせるものを思い浮かべることができ、また、母との親子関係と自分の今までの行動に新奇性を見出すことができた。
セッションの終わりには彼女はとても心が軽くなり、ある意味生き返ったようだった。私は、これからも自分が感情的になってしまう時にはいつでも今の一連の動作をするようすすめた。


2016年2月4日木曜日

Case #64 - 正しい判断か、それとも狂った判断か

ザックはいつも女性関係で問題があった。彼の現在の彼女のマルタは「たいへん」だと彼はいっていた。彼女はとてもアーティスティックで、楽しい性格で、社会性や政治に関してザックと同じ考えを持っていた。また、今まで付き合った女性とは違って、マルタは色々な面で彼を受け入れてくれていた。ザックは彼女と一緒にいて楽しかったが、彼女のことでどうしても受け入れられないこともあった。例えば、彼女はマリファナをすっていたが、彼はすわなかった。彼女はポルノを見るのが好きだったが、彼はそうではなかった。また彼女は複数の性的パートナーを求めていたが、彼はそうはしたくなかった。彼はマルタの「ワイルド」な一面が好きだったが、同時にそれは彼を苦しめた。
彼はマルタが感情的に不安定だと分かっていたが、彼なら彼女を助けることができると思った。彼はまたもや女性関係で「失敗」をし別れたくなかったので、彼はマルタと2年間ずっと付き合っていた。しかし彼女は精神的不安定な時が多く、たまに凄い剣幕で彼にどなったりした。
話を聞いていると、マルタと一緒にいるのはよくなさそうだったが、ザックは彼女を手放すことができなかった。彼は自分の愛が彼女を変えることができる、ものごとは良い方向へすすむ、そう考えていたのだ。
なので私は彼につきつけてみた。
それでは、これからも状況がよくならなかったら、どうするのか。
もし彼女が変わらなかったら?
もし彼女が変わりたくなかったら?
彼女が一夫一妻制に賛成しなかったら?
これらの質問は彼にとってとてもつらい質問だった。ザックは今の現実よりも、自分の願いや思いしか見ていなかったため、私はこのようにはっきりと聞いたのだ。それに彼は「もしこうだったら。。。?」という問いや、それらに関しての自分の気持ちを見ない様にしていたからだ。彼は夢を見ることにより、自分の現実から離れてしまっていた。
ゲシュタルト法は「現在」というものにフォーカスしていて、特に今現在起こっていることに注目を向けるのだ。ザックのように「現在」から目を背けようとしている人が沢山いる中で、ゲシュタルト法はそのような人々が本当の意味で「今を生きる」ことができるよう助けを差し伸べているのだ。
このプロセスを通して、ザックは自分がこのような生活をずっとしたくない、ということをやっと理解し、このような意味のない「彼女のお世話」は続けたくないと思い、もし彼女が変わらないのなら、この関係を手放さないといけないということをやっと理解することができた。
私は彼に自分の考えをうえつけないよう、注意した。 実存主義というのは、自分が人生の中で判断したことは自分自身の決断であり、それらの結果が予想していたものであると、予想していたものと違おうと、責任を持って生きて行くというものだ。私のここでの役割はクライアントに自分の持っている選択肢を見せ、それらを選び取ることによりどのような結果が生み出されるかを理解させ、一歩すすみ自分の人生を本当の意味で生きる、ということだった。大事なのは、他の人や状況によってではなく、自分自身で人生の決断をしていくということだ。
もし彼がマルタと一緒にいることを選びとるなら、彼女を変えようとして自分の思いを押し付けるのではなく、彼女をありのままで受け止めないといけない。彼が自分の「計画」を手放すのは難しかったが、それを手放しマルタを受け止めた時、彼に残っているものはごくわずかなものであるということを彼は知るだろう。
しかし、どんなにこれが正論だったとしても、このような決断をするのは簡単ではなかった。
なので、私はあるロールプレイをしてもらうことにした。それは、彼のマルタとの関係を手放したい自分と、そのまま彼女とずっといたいという自分との対話だった。
それをすることにより、あることが明確になった。それは、彼のしがみついている部分は彼の子供っぽく、感情的な部分であるということだった。彼の「手放したい」自分はもっと理論的に考えて、物事を切り離すことのできる一部だった。彼がどんなに「理論的」で「正しい」決断をしたからといって、状況が解決されるわけではなかった。彼の子供である部分、いわゆる感情的な部分も、一緒に相談させてあげないといけなかった。なので、この対話はただ言葉による対話だけでなく、2つの自分---「理論的」である自分と「感情的な」自分---の間のそれぞれの気持ちを汲み取る必要があったので、しばらく時間がかかった。
だが、だんだんとお互いが融合し、なんとか同意する結論を出す事ができた。それは「子供らしい自分」もきちんと受け入れられた結論であった。こうしてセッションは終わったが、私はこれで終わりではない事は分かっていた。この問題は、また今後のセラピーを通して取り扱っていくべきものであったからだ。
フリッツ・パールスはこのような2つの人格を支配者(topdog) と負け犬(underdog)とよび、私たちがどんなに冷静に、理論的に考えているつもりでも、その表面を支配しているもう一つの自分(topdog)がいる、と言っている。今回のケースでは理論的で正しいことを言うだけでは十分ではなかった。そのため、私たちはtopdogの表面で見える人格ばかり取り扱わない様、気をつけなければいけない。


2016年1月21日木曜日

Case #62 - メデゥーサ

トレイシーはある夢を見ました。彼女はある男を殺して、彼を戸棚の中に隠したのです。そして、彼女は周りにばれないように証拠を隠滅しようとしました。彼女は心の奥底で自分の母親に責任を押し付けようと思っていました。彼女が廊下を歩いると探偵であり、心理学者でもある男性に会いました。歩いて行く時に彼らの手が触れ合いました。彼女は、夢の中で彼にも自分がしたことがばれないようどうしたらいいかを考えていました。バックグラウンドではサスペンスでよく使われる音楽が流れていました。
私たちは、ゲシュタルト法を用いて彼女の夢の意味を探っていきました。
私はそれが現在起こっているかのように、それを再び語るよう彼女を促しました。そうすることにより、「夢」を無意識から意識のあるところに持って行こうとしたのです。
彼女が話している最中、わたしはたまに彼女をとめて、今どのように感じているか具体的に語ってもらうようお願いしましたー例えば彼女が殺した男について、など。
そして、私は彼女に自分が殺した男になりきり、彼であるかのように話すように、と言いました。
「男」(になりきったトレイシー)は、トレイシーは冷たく、計算高く、タフだと言った。
彼女が「自分」に戻ったとき、彼女は、笑い、身をよじり、「男」に言われたことを受け入れたくないようであった。
次は心理学者との対面に関して話す番だった。夢の中で、彼女はに真実がばれないようがんばっていたのだ。
今度は彼女は、心理学者を演じた。「彼」は、トレイシーがとても強くパワフルな人間で、彼女からは何も探りだすことができない、と感じていた。
わたしはまた彼女に焦点を戻し、彼女が自分で出した「パワフルで、 冷淡で、計算高く、タフである」という言葉を繰り返した。それに対し、彼女は自分がサディスティックな感じでもあると思う、と付け加えた。なのでこれらの言葉をまとめてみた。
わたしはグループから二人の女性にに出て来てもらい、それらの資質を具現化するようお願いした。それから私は女性たちと同じことをトレイシーにするようお願いした。彼女はそれをすることに戸惑い、つい笑ってごまかそうとしてしまったが、私は、この「実験」を続けて、その強力な女性としての自分自身を感じるように彼女を励ました。わたしは一人には死体の役をお願いし、他の誰かには、あたかも自分は誰も傷つけたことがないような、無罪を主張している彼女の一部を演じるようにお願いした。
そして、私は「人を殺すことができる」ようなするどい目つきでグループの男性何人かを見るよう彼女に指示した。彼女は自分の力を感じたが、やはり笑ってしまった。しかし、彼女は笑っているとき、自分が悪女のように笑っているのを感じると言った。笑い、というのはほとんどの場合、しっかり物事を体験しないで逃れようとする責任回避のひとつでもあるのです。
私は彼女にお腹から息をするように言った。それは、彼女が上のほうを向いて高いところから呼吸をしているように見えたからだ。
彼女が言われた通りすると、自分の胃の中に石があるかのように感じると言った。そして、その直後に心臓の血管がつまっている感じがする、と。私は彼女に呼吸を続ける様に促し、井の中の石を感じ取ると同時に、彼女の内なるパワーを感じるよう促した。
彼女は、これは、両親から拒否された経験と、自分が今まで性欲を抑制していたことが理由だと述べた。彼女は手に短剣を持っているように感じ、それをつねに手の中でまわしている感覚を持っていたのである。彼女はなんとなく、視線ひとつで男を石に変えてしまうメデューサのように自分を思っていた。彼女はそのことを考えるとき、自分の中で楽しい性的な感情がわいてくることを述べた。
彼女は今までとは違う表情をしており、真剣になっていた。先ほどは全く違う人かのようにはるかに深刻な表情で、もはや笑いや「無邪気な」自分は見せていなかった。
やっと彼女は自分の中にあるパワーを認めはじめることができたのです。自分の内なるパワーを理解することにより、彼女は自分の中にある全てのもの、それはキラー(殺し屋)である自分、セクシーな自分、そして女性としてのパワーを持つ自分、を体験することができたのです。
ゲシュタルト法では、私たちが自分で自覚していない部分こそが危険性を持つ、と考えられている。クライアントが自分の中にある未知なるものを意識することにより、全ての要素を取り入れて、物事を考えることができ、ある意味「自分の行動に責任をとることができる」のである。これこそがゲシュタルトの求めている存在性なのだ。それは、クライアントに対し解決策や道徳的な知恵を与えるのではなく、人々が自分のうちなる存在全てを認めることへと導き、そのようにしてそれぞれ自分の願いを正直に出すことができるように、セラピストは導くのだ。
今回のセッションではわたしはエネルギーがどう動いているかに集中し、トレイシーが目を背けていた自分(自分の攻撃性やパワーなど)をしっかりと見つめるよう促した。彼女はこのような自分の一面を認める事がなかなかできなかったが、今回のセッションを通し、彼女は今まで納得のいかないまま受け入れていたものをやっと解放することができた。


2016年1月13日水曜日

Case #61 - 自分の性的感情を認める


リンダは33歳で独身だった。彼女は男友達はたくさんいたが、みんな「ただの友達」だった。そしてなかなか「お友達」からロマンチックな関係にはつながらなかった。
今回の彼女の目標は自分の中にある「未知なる自分」を探すことだった。わたしは彼女との共通点を探っていくために、まずはわたし自身も「未知なるもの」に興味があることを示して行った。わたしたちは、お互いのことをまだあまり知らないということを指摘し、そしてわたしが彼女について知りたいことを話した後に、彼女もわたしに何か質問をするように促した。ゲシュタルト法では、はっきりとしていない、もやもやとしていてる土台を「創造的虚空」と呼び、未だ分からない未知なるものをクライアントから引き出すためにセラピストが用いることがある。
彼女は両親に貼られた「いい子」というレッテルがいやでいやで仕方がないことを話してくれた。彼女は両親がいつもリンダが付き合う男の子たちを認めてくれなく、リンダは良く両親の目をさけてボーイフレンドたちと合うために窓から忍び出て行ったことを教えてくれた。彼女は自分の意思で考え、自分の人生を形成していきたかったが、どうしてもそれが難しかったのだと打ち明けてくれた。
これらを全部組み合わせると、リンダは自分の女性らしさというものに問題をかかえているようだった。彼女が「いい子」になろうとするがゆえに男性との関係において完全に女性らしさを出すことができなく、そのために友達以上の関係になることができなかったし、またそれ以上の関係になっても自分からまた「友達関係」にもどそうとしてしまうのだった。
わたしのチャレンジは彼女が自分の女性としての性的魅力を認めるためにどのようなことができるかということだった。わたしは他の参加者に声をかけ、自分のことをバッドガール(性悪女)だと思っている女性はいないか聞いてみた。ただひとり、マルチーナが手をあげた。わたしはリンダに「バッドガール」とはどいうものか教えてあげるようにマルチーナにいった。ゲシュタルト法ではコミュニティのサポートを利用することを大切にしており、特に自分の性に関してなどの敏感なトピックは、自分一人だけが問題をかかえているのではないこと、また自分がさらされているという思いが少しでも軽減され、ほかの人達と一体感を持ち、そのことが恥ではないということを感じることができるよう、まわりのサポートをうながしている。
マルチーナは自分にとって「バッドガール」とは「いい子」「悪い子」ということよりも、他人に決められたことではなく自分で物事を決め、自分にとっては何が良いのかということを判断することだ、と教えてくれた。
そこでわたしはリンダに焦点をもどし、彼女が今どのような気持ちでいるか聞いた。彼女はいつも自分の体に対しては敏感ではなかったので、自分が何を欲していて何を求めているのかが分からないと答えた。このことは彼女の性というものを探っていくなかで、あきらかに障害になりそうなことだった。
リンダが自分の性をみつめ自分の一部として受け入れることができるよう、わたしはあるアクティビティを試みた。このアクティビティはとても慎重に行わねばならないものだったので、わたしはリンダに自分がやりたいことだけ選び、必要だったらアクティビティを中断することも可能だと伝えた。また、このアクティビティにおけるルール(境界線)も説明した。それはグループでのみやるべきことであることと、アクティビティに参加する男性は彼女のサポート役となるためだけに参加するということ。
性に関してのカウンセリングにおいてははっきりとした境界線をはじめに引いておくことがとても大切です。
わたしはリンダにこのグループの中で一番魅力的な男性を選ぶ様にと言った。そしてお互い向き合って立つように指示した。リンダに今何を感じているかを聞くと、彼女は少し緊張しているが他には特に何も感じていないと言った。わたしはリンダに体の中のエネルギーを循環させながら呼吸をし、男性を見つめるように促した。彼女はわたしの言った通りにしたが、何回か繰り返すうちに「彼はもうそこまで魅力的に感じないわ」と言った。それは彼女は自分のうちの性的なエネルギーを抑え、いつもの通り「お友達」へと変えていたからだ。わたしはリンダにそれを指摘し、彼女が本当に未知なるものを見つける心の準備ができているかを聞いた。こう聞くことにより彼女がもともと言っていた「未知なる世界」の発見を助けることになったし、彼女のほうから言って来たことだったので、もしかすると肯定的に受け止めてくれると思ったからだ。
彼女はわたしの提案に賛成したので、彼女に呼吸を続けながら相手の男性を見、自分の身体のどの部分で快楽を感じ、またどのようにそれを感じるかを考えてみるようにと言った。はじめは特に何もなかった。しかし、少ししてから彼女は上半身にあついものを感じた。わたしは彼女を励まし続け、呼吸を続けるように促した。また少し経ってから、彼女は自分の体の中にあるあついものが上半身からお腹のあたりまで、そして腰のあたりまでエネルギーが動いていくのを感じることができた。
アクティビティで相手の役をしてくれた男性はこの体験を通して彼が気づいたことを話してくれ、私たちはその後しばらく色々と話し合った。
彼女は今までセックスの時以外は意識的にこのようなエネルギーを感じることができなかったので、この体験は彼女にとっては大きなステップだった。彼女は自分が持っているパワーやそれをどのように持ち出し、男性との関係で引き出して行くことができるのかを今まで知らなかったのだ。
心理療法で「性(セクシュアリティ)」はとてもデリケートで難解なトピックである。セラピストがしっかりとした境界線を引かないと権利乱用や虐待へとつながることもあるので気をつけないといけない。
しかしながら性の面で精神的治療が必要な人は沢山いて、他のどこでもそのような助けをうけることはできないであるから、セラピストがこのトピックを恥ずかしがって逃げてしまうのもよくない。
今回のアクティビティは沢山のサポートの中でゆっくりと、クライアントのペースで彼女にとっての「未知なるもの」を探って行くものだった。
彼女の両親との関係で「解決すべきこと」について話すこともできたが、彼女はこの新しい体験を経験する準備ができていて、過去にしばられたくなかったので、一歩踏み出すことができた。
多くの人は何かに関して自分の中の意識を遮ってしまっていることがある。「性」については特に多くの人が考えない様にしてしまうトピックのひとつである。それは時には過去のトラウマによるものでもあるが、社会的な要素や家族から無意識に伝わったことにより性的な感情を抑制してしまっている。
このような様々な理由により抑制されてしまっている性的感情を取り戻すために「なんでもあり」の性という考えを導入しようとしても逆効果になる。そのためゲシュタルトセラピーでは「性」というものがおおぴらに表現されているものでもなく、抑制されたものでもなく、私たちの人間としての存在の中で自然なものとして表現されることを目的としている。

2016年1月6日水曜日

Case #60 - 憎悪と愛情

わたしはジェレミーとミランダ夫妻が自分たちの心にひそんでいる攻撃性や怒りに触れることができるよう、お互い手のひらをあわせ押し合うアクティビティを提案した。
しかしこのアクティビティが終わったあと、ミランダは怒りだしてしまった。彼女は夫のジェレミーに対してとても腹を立てており、彼との関係に行き場を失っていた。というのは、彼女にとって大切な話があるとジェレミーはすぐ冗談を言い、笑って真剣に話を受け止めてくれないからだ。彼女は彼のこのような性格に大変怒りを感じており、ジェレミーが彼女のことを全く見てくれてないと感じていた。
そこでわたしは、ジェレミーとミランダをお互い向き合わせ、ミランダに夫に「わたしは今、あなたのことが嫌いよ」と言うようにと言った。
このような表現はゲシュタルト法で用いられる方法で、相手との心のつながりをつくることができる表現だ。このように言うことは相手のせいにしていないし、自分の気持ちを素直に表情しているし、とても淡々として分かりやすい。
彼女がわたしが言った通りに夫に言うと、夫は爆笑しはじめた。
このように笑うことは楽しみを表すこともあるが、今回ミランダが自分の大切な気持ちをはっきりと伝えようとしている時に笑うというのは、相手をシャットアウトし蔑むことになり、このような行動をゲシュタルトでは「逸脱」と呼んでいる。
彼の笑いは妻の怒りを正直に受け止めることができない自分を隠す道具となっており、彼女と向き合って怒りを受け止めることができない自分を隠していた。
なのでわたしは彼が真剣に妻の話を聞く事ができるように、お腹から呼吸をし、あごをリラックスするように言い、彼が妻の怒りに圧倒されてそれを受け止めるのがいかに難しいことであろうかということを言った。
彼はなかなかまじめになることができなく、ジェレミーが笑いを発する度にミランダの怒りは激しくなり、「この人はいつも真剣な話をしようとするとこうなのよ!」と怒った。
わたしの助けによりやっとジェレミーはなんとか真剣になりミランダの話に耳を傾けはじめることができたので、わたしはミランダに気がすむまで何度も夫にはっきりと先ほどの「今、わたしはあなたのことが嫌いだわ」という言葉を繰り返すように促した。
彼女は激しい感情の中で何度も何度もこの言葉を繰り返した。彼女がやっと全てはきだすと、落ち着きを取り戻した。そして自分があまりにも正直に怒りを表すと、ジェレミーが彼女のもとを去ってしまうのではと恐れていることを打ち明けてくれた。
わたしはジェレミーにそんなことはないと妻に言ってあげるように促した。彼もまた妻が自分のもとを去ってしまうのではと恐れていることを話はじめたが、まだミランダは自分の言いたい事を全部言い終えていなく、それを言うまで夫の言い分を受け止める余裕はなかったので、わたしは言いかけたジェレミーを止めた。
ミランダは話を終え落ち着きを取り戻し、自分がどれほど夫を愛しているかを彼に話した。ジェレミーもまた自分の気持ちを妻に正直に話すことができ、夫婦の間には目に見えてわかる強く、深い絆が生まれた。
ゲシュタルト法では人々が自分の心を正直に、かつはっきりと相手に伝えることができるようクライアントをサポートするのが目的である。これらの目的を達成することにより他のことも自然と解決へと導かれる。またこれらのことを達成するためには感情を探り出す助け、実際的な言動のサポート、そして抑制を必要としている。

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