
彼はマルタが感情的に不安定だと分かっていたが、彼なら彼女を助けることができると思った。彼はまたもや女性関係で「失敗」をし別れたくなかったので、彼はマルタと2年間ずっと付き合っていた。しかし彼女は精神的不安定な時が多く、たまに凄い剣幕で彼にどなったりした。
話を聞いていると、マルタと一緒にいるのはよくなさそうだったが、ザックは彼女を手放すことができなかった。彼は自分の愛が彼女を変えることができる、ものごとは良い方向へすすむ、そう考えていたのだ。
なので私は彼につきつけてみた。
それでは、これからも状況がよくならなかったら、どうするのか。
もし彼女が変わらなかったら?
もし彼女が変わりたくなかったら?
彼女が一夫一妻制に賛成しなかったら?
これらの質問は彼にとってとてもつらい質問だった。ザックは今の現実よりも、自分の願いや思いしか見ていなかったため、私はこのようにはっきりと聞いたのだ。それに彼は「もしこうだったら。。。?」という問いや、それらに関しての自分の気持ちを見ない様にしていたからだ。彼は夢を見ることにより、自分の現実から離れてしまっていた。
ゲシュタルト法は「現在」というものにフォーカスしていて、特に今現在起こっていることに注目を向けるのだ。ザックのように「現在」から目を背けようとしている人が沢山いる中で、ゲシュタルト法はそのような人々が本当の意味で「今を生きる」ことができるよう助けを差し伸べているのだ。
このプロセスを通して、ザックは自分がこのような生活をずっとしたくない、ということをやっと理解し、このような意味のない「彼女のお世話」は続けたくないと思い、もし彼女が変わらないのなら、この関係を手放さないといけないということをやっと理解することができた。
私は彼に自分の考えをうえつけないよう、注意した。 実存主義というのは、自分が人生の中で判断したことは自分自身の決断であり、それらの結果が予想していたものであると、予想していたものと違おうと、責任を持って生きて行くというものだ。私のここでの役割はクライアントに自分の持っている選択肢を見せ、それらを選び取ることによりどのような結果が生み出されるかを理解させ、一歩すすみ自分の人生を本当の意味で生きる、ということだった。大事なのは、他の人や状況によってではなく、自分自身で人生の決断をしていくということだ。
もし彼がマルタと一緒にいることを選びとるなら、彼女を変えようとして自分の思いを押し付けるのではなく、彼女をありのままで受け止めないといけない。彼が自分の「計画」を手放すのは難しかったが、それを手放しマルタを受け止めた時、彼に残っているものはごくわずかなものであるということを彼は知るだろう。
しかし、どんなにこれが正論だったとしても、このような決断をするのは簡単ではなかった。
なので、私はあるロールプレイをしてもらうことにした。それは、彼のマルタとの関係を手放したい自分と、そのまま彼女とずっといたいという自分との対話だった。
それをすることにより、あることが明確になった。それは、彼のしがみついている部分は彼の子供っぽく、感情的な部分であるということだった。彼の「手放したい」自分はもっと理論的に考えて、物事を切り離すことのできる一部だった。彼がどんなに「理論的」で「正しい」決断をしたからといって、状況が解決されるわけではなかった。彼の子供である部分、いわゆる感情的な部分も、一緒に相談させてあげないといけなかった。なので、この対話はただ言葉による対話だけでなく、2つの自分---「理論的」である自分と「感情的な」自分---の間のそれぞれの気持ちを汲み取る必要があったので、しばらく時間がかかった。
だが、だんだんとお互いが融合し、なんとか同意する結論を出す事ができた。それは「子供らしい自分」もきちんと受け入れられた結論であった。こうしてセッションは終わったが、私はこれで終わりではない事は分かっていた。この問題は、また今後のセラピーを通して取り扱っていくべきものであったからだ。
フリッツ・パールスはこのような2つの人格を支配者(topdog) と負け犬(underdog)とよび、私たちがどんなに冷静に、理論的に考えているつもりでも、その表面を支配しているもう一つの自分(topdog)がいる、と言っている。今回のケースでは理論的で正しいことを言うだけでは十分ではなかった。そのため、私たちはtopdogの表面で見える人格ばかり取り扱わない様、気をつけなければいけない。
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