
私は、まず今ここにいること、こうして会うことにより何を感じるかにフォーカスすることにした。それは具体的には、今こうして私と会うことにより何を感じるか、私たちの「触れ合い」は彼女にとってどのようなものであるかという質問だった。私は彼女に質問するごとに自分の気持ちも話した。
次に部屋を見渡しながら一人一人の人を見て、人それぞれによって自分が違う感情を抱いているのだということを感じ取るよう彼女に促した。
そして最後に、私自身が「カウンセラー」という立場から「クライアント」へと切り替えた。彼女は私の感情にすぐ気がつき、「あぁ、あなたは哀しいのね。」と言った。私は大切なことは彼女自身の気持ちであると指摘した。それは彼女自身が自分の「哀しみ」を体験することだった。まず自分がどのような感情を抱いているのかを知ってから、私がどうして「哀しい」のかを聞く様促した。今回、私が「哀しみ」を感じていると指摘した彼女は当たってはいたが、このようにすぐに思い込みをしてしまわないよう注意しないといけない。人は「自分は相手の気持ちを察する事ができる」と勝手に思い込んでしまっている時がある。ゲシュタルト法ではこのような考え方ではなく、必ず境界線を引き、まず自分自身の感情に敏感であることを促している。私たちは相手の気持ちを察し、それが当たっているか相手に聞かないといけない。相手の気持ちを「知っている」、「分かっている」という考えは相手に対して失礼であり、また相手のためにもならない。
もっと心理学的な用語を用いるとしたら、このことを「投影」と呼ぶ。私たちが相手の気持ちを100%分かりきることはできない。それは相手の気持ちは相手の心と体の中にあり、私たちは相手の心を持っているわけでは無いからだ。もしかすると私たちの感情は相手のものと一致するかもしれないが、それはあくまでも私たち自身のものである。
そのため、「投影」というのは私たちが自分の感情を道しるべとしながら、相手の気持ちを想像するというものだ。こうすることにより、私たちはこの世の中に順応していくことができ、他人の気持ちを理解し、(願わくば)相手と同じことを感じることができるのである。しかし、まず相手の気持ちを確認せずには自分の「察したこと」が合っていたかどうかは分からない。
ゲシュタルト法ではこのような会話の中で相手の気持ちを伺い、コミュニケーションをとり、自分が相手のことを正しく理解していたか確認するために正確な言葉を用いることが重視されている。私たちが相手とうまくコミュニケーションをとることにより、あいまいで僭越したもではなく、はっきりと相手の思いを理解することができる。
0 件のコメント:
コメントを投稿