2013年12月7日土曜日
ケース#13- - 血の夢
リズは何度も同じ夢を見ていました。私は彼女に、ゲシュタルト療法のスタイルで夢の中の出来事を現在形で言うように伝えました。これは「いま、ここ」を経験してもらうための方法です。
彼女は、こんな風にその夢を表しました。
私はお母さんの隣にいて電車に乗っています。席の向かいには黒い制服を着た男の子が二人いて、私をからかっています。私が驚くと二人は立ち去りました。すると、今度はそのうちの一人が私の隣にいて、性器から温かい血を放出しています。電車の床は温かい赤い血に染まっています。私は怖い。彼はそこに立っていて、血は出続けています。もう一人の男の子も同じことをしています。
駅に着くと沢山の医療器具を持った女性のお医者さんがいて、私はほっとしています。
彼女の夢はこのようなものでした。
私は「いま、ここ」で深く繋がってみて、どのように感じるか彼女に尋ねました。
「怖い、死んでしまいそうな気分、ひとりぼっち」
今度は彼女に、夢の中の男の子になってもらいました。すると、彼女はこう言いました。「私はエネルギーを失っています。床に崩れ落ちそうです。生きる力や温かさを持つことができません」
私は彼女に、彼女自身の身体の中に入るように言いました。これは、夢の中での経験と、現在の身体が経験していることを結びつけ「彼女が何者なのか」ということに近づけるためです。
彼女は胸のあたりに、ぽっかりと穴の開いたような感覚を覚えていました。それは、穴の開いたバケツのようなものでした。私は、彼女の中にどの位の温かさを感じているかを訪ねました。彼女は30%と答えました。
私は、彼女が身体で感じたことを人間関係と結びつけ、彼女に次のような意見を述べました。
私が経験した彼女の性格は、とても温かいものです。数字にすれば70%です。
私は彼女に、この差について尋ねて、試しに彼女が温かさを上げたり下げたりできるかということをやってみました。
まずは、目の前にある「温かさ」の問題そのものを扱います。
彼女が温かさを下げた時、彼女はバラバラになってしまいそうに感じ、腸が冷たく感じました。
彼女が言うには、いつもの生活でも小腸に針を刺したような痛みをたびたび感じるのだそうです。そして、彼女は冬の間、呼吸をするのが大変になるほど寒さに反応していました。
今度は、彼女に自分の小腸に入るように勧めました。
彼女は重くて、せき止められていて、湿気が多く、動いていない感覚だと言いました。
彼女は、栄養摂取が物理的にうまくいっていないと言いました。彼女は食物から十分な栄養を摂ることができず痩せていて、サプリメントの力を借りていました。また、人から触られると怖がります。彼女は努力しないとリラックスできません。セックスに対しても消極的です。彼女は人から触られることを望んでいましたが、それは子どもとして接してもらうことでした。
私は彼女に、温かさを掘り下げて感じてもらうため、夢の中の血に「なる」ように言いました。
彼女は言いました。私は温かく、元気いっぱいで、栄養に満ちています。男の子は私を拒絶しています。私は彼の身体から出ています。私は彼から必要とされていません。
私は、このことが彼女の人生の何と結びつくか尋ねました。つまり、この夢と彼女の実際の人生を結びつけるということです。
彼女は、人生を投げ出していることについて話しました。「もうたくさん、一度に嫌なことがたくさん起きるし、理解してもらえている感じがしない!自分の中にいる男性の声が、私に死んだほうがいいと語りかけている」
そこで、今度は彼女のお父さんについて聞いてみました。彼女とお父さんの間にはいつも距離がありました。彼女が子供の頃、彼女のお父さんは心を開かず、テレビを見ているか、内に閉じこもり、話をしてくれませんでした。お父さんの顔は厳しく固いものでした。彼女はお父さんに対して申し訳なく思い、お父さんの笑顔が見たい一心で、まるで男の子のような態度でお父さんを喜ばせようとしていました。
大人になってからの彼女は、お父さんを見るとお腹の調子が悪くなりました。お父さんは小さな男の子のような目で、まるで彼のお母さんを見るような目つきでリズのことを見ていました。
すべてのことが分かりました。子どもの彼女はお父さんの温かさを必要としていました。しかし、それとは逆に彼女はお父さんの心を温めていたのです。そして、お父さんの心は決して温まることはありませんでした。その役割は子どもにとって重荷となり、彼女の生命力を抜き取る結果となりました。いまの彼女には温かさを与えるほどの余裕はありません。彼女が得るものより与えるものの方が大きく、日常的に空っぽな感覚を持つようになったのです。こうすることで得ていたのは寛大さと母性でしたが、彼女の内面は痛みと空虚感でいっぱいでした。
このバラバラになった感情は、命を拒絶することを意味します。彼女はジレンマと行き詰まりに苦しんでいました。
この場において必要なのは、行き詰まりを解消することではなく、その行き詰まりに対して気づきをもたらすことです。ゲシュタルト療法では、すべての変化は気づきから始まります。
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